町田康『家事にかまけて』第19回:剥げちょろ急須

作家・町田康が綴る家事、則ち家の中の細々した、炊事や洗濯、清掃といったようなこと。

illustration: Machiko Kaede / text: Kou Machida

連載一覧へ

井伏鱒二に「手洗鉢」という作品がある。内容を掻い摘まんで言うと、新婚時に「僕」は駅近くの石屋で石の手洗鉢を買った。その手洗鉢は安物で、石屋の主人は、「この手洗鉢は素人だましなんだがね」と言いながら刷毛で「過マンガン酸加里」という着色剤を塗りつけていた。

古びて風情があるように見せかけるため。そんなことをしていたのである。「僕」はこれを気に入って購入し庭に据えた。気に入ったのは主にそれが安かったからである。

だが「僕」には気になる点もあった。それは石屋の主人の、「素人だまし」という言葉で、「僕」は自分の力で本当に古びさせたい、苔が乗ったところを見てみたい、など思い、郷里からわざわざ杉苔を送ってもらい、これをその手洗鉢に塗り、雨の日は傘をかぶせ、晴れの日は白水をかけるなど躍起になって世話をした。

ところが苔は定着せず、ついに一切の努力をやめて手洗鉢を放擲した。そして三十年が経過した。さすがにそれほどの年月が経つと安物ながら、黒ずみ、それなりに古びて見えるようになった。ところが或る日、「僕」の留守中に手伝いかなにかで来ていた人が、その三十年経った手洗鉢をタワシを使って洗ったため、せっかく古びた手洗鉢が剥げちょろになってしまった。

「僕」はそれが悲しいのだけれども、しかし元々、その手洗鉢がインチキな代物であることを知っている為、それほど怒る気にもなれず、そんな風になってしまった手洗鉢の存在が煩わしい。だからといって、今から気に入った手洗鉢を買ってきてそこに据えるのも、なんだか負けたような、自分の三十年はなんだったのだ、と言いたくなるような気がして、その気になれない。それも含めてあの手洗鉢が煩わしい。
みたいな作品である。小説は、

先日、近所の娘さんが学校で、茶の湯の稽古の先生に、僕のうちのつくばいをタワシで洗ったので、剥げちょろになった話をした。すると先生が、ぽろりと涙をこぼしたという。強力接着剤で色づけしたものとは知らないのだ。それを云ったら、老先生はどんな顔をすることか。

という「僕」の独白で終わる。若い頃、俺はこの小説を単なる滑稽な失敗譚として、ただただおもしろく読んでいたが、何度も読み、そして自らも老境に至って、身につまされる話として読むようになった。

というのは自分もまた、マジでその安物の手洗鉢だと思うからで、じっくりした人間になるためには本当の教養や知識を身につけなければいけないが、元が安物なのでそれをせずに、付け焼き刃、即席の教養や知識で仕事をし、「これではいけない」と思い、躍起になって様々の努力をするのだけれども、元が安物なので、なにも身につかない。マアしかしそれでも四十年(俺の場合)もやれば多少じっくりした部分も出てくるのだが、それとて、何度も言って申し訳ない、元が安物なうえに強力接着剤を刷毛で塗りつけてた偽物、本物のヴィンテージではなく、あくまでもヴィンテージ加工、なので、ちょっとしたことがあれば一撃で剥げちょろになってしまうシロモノである、ということがこの作品に暗示的に示されていると、どうしても思ってしまうからである。

町田康『家事にかまけて』第19回:剥げちょろ急須

その話を久しぶりに思い出したのは、俺も同じように或る物を、剥げちょろ、にしてしまったからである。その或る物とはなにかというと急須で、俺は家にいくつかある急須の中で、その急須を特に気に入っていた。

しかもそれは「僕」の手洗鉢のような安物ではなく、おそらく結構、高価いものであると思われる。おそらく、思われる、と推測の形を取るのは、そうした日用品について極度に吝嗇で、厳選したよい物だけをつかってオシャな感じにしたい、と念願しているくせに、怠惰かつ吝嗇な俺がそんな高価な物を買うことはけっしてなく、つまり脇からもらったものであるからである。

いぶし銅の打ち出しになっていて、蔓は明るい色の藤が巻いてあってきわめて様子が好く、婦女子をして、「こんな渋い急須を使っているなんてさだめし教養がある大人のおっさんなんだろうな」と思わしめるような急須である。しかもこれには同じく、いぶし銅打ち出しの茶筒と茶杓もセットになっており、こんなものを使って煎茶などを淹れた日にゃあ、婦女子はもう大変、「茶筒までセットになっているなんて。はっきり言って抱かれたい」と思うのではないかと思うようなシロモノである。

なのでこれを使って茶を淹れる度、俺は、「いい急須ダナー。ダナキャランの猿股買うたろかな」など思い愉悦に浸っていたのだが、ふと、あることに気づいて愕然とした。というのは、それが、いい感じに古びているのではなく、恐ろしく汚れているということである。

改めてよく見ると、注ぎ口の裏の辺りや蓋の周辺が、茶渋・ステイン、というのだろうか、そんなもので見苦しく汚れ、今もいうようにそれはけっして経年変化による美といったものではなく、単なる経年不精による醜そのものなのである。

思えば確かに俺は使用後、軽くゆすぐくらいのことをするのみで、ちゃんと洗うということをしてこなかった。で、こんなことになってしまった訳で、俺はひたすらに恥ずかしかった。過去において自分がやってきた様々の愚行・醜行のひとつ、のように思われた。それよりなにより婦女子がこんなものを見たらなんと思うか、ということが気になった。

しかしこれをどうやって除去したら良いのだろうか。まっさきに思いついたのは塩素系漂白剤だが、それをやるとなにか不吉なことが起きるような気がしたので安直にスマホを使って調べたところ、言わんこっちゃない、それをやったら破滅する、とあったのでこれを止め、推奨の、クエン酸水溶液に浸した後、刷子で擦る、という手法を採ることにした。

然うしたところ、何と謂うことであろうか、注ぎ口のなかで固まっていたと思しき、黒い、クズみたいなものがボロボロ出てきて、恥ずかしさが極に達すると同時に、こんなものを放置しておく訳にはいかない、と躍起になって刷子を突き込んだり、蛇口を最大限、解放して水圧で押し流すなど清掃にこれ努めた。

そして注ぎ口の裏の汚れも除去すべく、力をこめてこれを擦ったところ、その部分だけ、昔、喫茶店でアイスコーヒーを提供するのに使っていた銅のコップのようなピカピカした感じになってしまった。俺は慌てたがもうこうなったら全体をピカピカにするしかない、と全体を刷子で擦った。そうしたところ、全体が、なんだかアホのヒッピーが着ているまだら染めの服みたいな感じになった。

使ううち、これが自然に古びて全体が均一な感じになるのには三十年くらいかかるだろう。井伏鱒二は九十五歳まで生きた。俺もそれくらいまで生きれば再び元のような姿になったこの急須を見ることが多分、できるので頑張って生きようと思うが、他に考えることがないのか、と思う気持ちも自分の中にないではない。寒い。

連載一覧へ

SHARE ON

FEATURED MOVIES
おすすめ動画

BRUTUS
OFFICIAL SNS
ブルータス公式SNS

FEATURED MOVIES
おすすめ動画