ただ、そこにあり続け、容赦なく突きつけてくる
「親のセックスを見たことがあるんです」その手の告白を唐突に差し出してくる人が、たまにある。
つい先日も、あった。久しぶりだったので面食らってしまった。もういい年をしていろんな経験を通り抜けてきたが、目の前の人がご両親の性行為をその目で見てしまったという衝撃に、慣れることがない。
何しろ、自らの創造主たちの営みを目撃してしまったショックというのは計り知れないものがある。見られた側と見てしまった側、双方のショックに同時に共感してしまい、「えー最悪!」とか「やばいですね!」などと軽口を言って笑い飛ばすこともできず、「え……それは、教育上やってはいけないミスですよね」などと言って否定することもできない。
というか、この私も見てしまったことがあると言えば、あるのである。限りなくそれに近い経験を、子供時分に私もしている。他人のこの告白は、自分が創作活動でも目指すところである「正直さ」を最大限に試してくる。その毎度、私はいつも敗北してきたのだ。
「ええ。」と言葉を詰まらせるばかりで、決死の告白をカマした彼らとは違ってショッキングな出来事とは無縁に生きてきた人のふりをしてしまう。反射的に出自を隠してしまう自分に、妙な失望を感じてしまう。
本棚の主(ぬし)のような本、と聞いた時真っ先に目に飛び込んできたのが、大道珠貴さんの『背く子』であった。
この物語はあらゆる意味でショッキングだ。主人公はまだほんの3歳くらいの女児だが、両親は主人公を子供だからとナメきっており、隠すこともなくしょっちゅうセックスしている。日常的に子供に対して暴力的だったり支配的だったりしてはっきりと虐待なのだが、そのうち、「お前のために弟を作る、手伝え」とか言って彼女を裸ん坊にして行為に参加させるなどし始めるのだ。
ひどいはひどいが、なんか居そうな親たちなんである。気分次第で虐めているのだが、機嫌が良いと職場に連れて行ったり可愛い洋服を手作りしてあげたり、大事にしている素振りはある。成熟した大人とは言い難いが、それなりに必死で育てていることはわかるのだ。
彼らは外に向けた子育てをしていない。他人から見たら顰蹙(ひんしゅく)ものの育児である。その家だけで通用するルールで、理不尽も暴力も巻き込んで、親も子も日々を訥々(とつとつ)と過ごしていく。
人から見れば不道徳でも、子供たちを実際に育てているのは他でもなく、この家の幼い大人たちなんである。そしてどの家も、多かれ少なかれ、人には自慢できないような関係性というものを内包しているものである。
この本は、本棚にいて、目が合うたびに私に冒頭の告白をカマしてくる。あんたの家も、澄ました顔して本当は変な家なんやろ?と、私に正直さを、あけすけであることを、いつでも求めてくる。
ひと1人の歴史のうちには、とんでもなく理不尽で、人に言えない愚かさが、必ずそこにあることを、突きつけてくる。

自己中心的な父、無条件に従う母、子供同士の理不尽な人間関係。人間の身勝手さや生きることの煩わしさを、3歳から6歳へと成長していく少女の目線から哀愁とユーモアを織り交ぜて描いた長編小説。現行版は講談社文庫/681円(電子版のみ)。