未来の「人類進化」をつくる〜連載「未来円卓会議」Vol.2

これから社会に起こることを考える時、そこにはワクワクする期待と、少しの不安とが入り交じるもの。そんな「未来」について様々なテーマで会議する連載。今回のテーマは「人類進化」。ゲスト、霊長類学者の山極壽一さんが切り出したのは、人間の脳が変化している?という話だ。Vol.1はこちら

illustration: more rock art all / text: Tsuzumi Aoyama

未来のはずが、いきなり人類の退化が始まる⁉

今回の“変人”:山極壽一(総合地球環境学研究所所長)

山極壽一

社会って、目に見えないんですよ。ゴリラや猿は、仲間同士の関係を読むことで社会を「見て」いる。猿は「どっちが強いか」で判断するけど、ゴリラは相手が何を考えているかまで見定める。人間はさらにその上を行く。自分が参加していなくても、ほかの人同士のやりとりから裏の意図まで推察できる。こうした社会的知性(*1)の階層があるからドラマや映画を楽しめる。

小布施典孝

その、人間の認知能力が今、揺らいでいると?

山極

諸説ありますが、2万年前と比べると、現代人の脳は10%から30%も縮んでいるという説もあるんです。その背景として、自己家畜化(*2)という現象が起きているともいわれています。家畜化されると、食べ物を与えられ、繁殖も人間に任せるから、自分で判断する必要がなくなる。すると、脳が縮む。人間にも同じことが起きている。

小布施

自らの願望を満たすため、能力を高めるために、効率的に努力することは、自発的な行為のようですが、実は考えることの放棄であり、抗(あらが)えない大きなシステムに対して人間が家畜化されているってことでしょうか。

吉田健太郎

人は人がつくったものに支配される。というか支配されることを楽だと思うのが人間なのかな。考えることが人の価値なのに、考えないことが楽っていうのは不思議なことですが。

山極

そう。でもね、判断を委ねる先のシステム自体が、今ものすごい速さで変わっている。親も子も「初めてのこと」ばかりに直面しているんです。かつては子供の人生の目標は親だった。江戸時代なら親の職業を継ぐのが当たり前で、変化が少ないから過去の経験で未来を予測できた。因果関係(*3)が有効だったんです。でも今はスマートフォンもAIも、親が経験していないものを子供が使いこなす。前例のないことに因果関係は使えない。じゃあ何が使えるか。

ゴリラの親子のイラスト
親子や仲間で食べ物を分け与えるのは、社会の始まり。

因果関係と相関関係。生きやすいのはどっち?

山極

ヒントは野生動物にあります。実はね、野生動物は因果関係で考えないんですよ。相関関係(*4)で生きている。目の前に象が現れたら、過去の経験から「こういう状況では危険だ」と判断する。なぜ象がそう振る舞うかまで遡らない。原因を問わない。でもその方が、変化の激しい環境では圧倒的に有効なんです。

一方で人間は因果関係を持ち出すから「なぜ自分がこんな目に遭うんだ」と絶望する。人と比べてしまう。僕はフィールドワークの中で、片足を失ったゴリラや、体が不自由になったゴリラを見てきましたけど、彼らはまったくくじけていない。ほかの個体と自分を比べない。今をあるがままに生きている。なぜこうなったかと考えないからです。淡々と成長し、淡々と死んでいく。将来の目標も立てない。自分に正直で、周りのものをそのまま受け入れる。

山極壽一のイラスト
ゴリラは絶望しない。原因なんて問わないから。(山極)

増原誠一

因果を手放した方が生きやすい場面もあるわけですね。

山極

変化の激しい時代には、なおさらです。ところが我々は言葉を持ったことで、過去に遡り、未来を予測するようになった。それは大きな武器であるのかもしれないけれど、同時に絶望も生む。科学では説明できない「なぜ」に答えるために宗教が生まれました。だから複雑な社会になればなるほど、宗教はなくならない。科学が示す事実には物語性がないけれど、真実には物語がある。人間は物語の方を信じたい生き物なんです。

小布施

その物語のつくり方が、文明によって違うわけですか。

山極

まさにそうです。西洋の小麦文明(*5)と日本の米文明では、根本的に異なる物語が生まれた。小麦は大規模農業で、城壁を築き、奴隷を使い、征服と所有の社会を生んだ。家畜を使う文化もユーラシア大陸で始まった。一方、稲作には水が必要で、水源を守るには森が必要。だから日本では森が残ったんです。

小布施

森を守るのが農業だった。

山極

神社の鎮守の森(*6)はまさにその象徴で、聖なる存在が棲(す)む樹林として守られてきた。さらに森と里の間にある中間領域、これが「里山(*7)」であり「里海」なんです。森と海を残したから、山菜、キノコ、木の実、魚介、海藻と、食卓にこれほど多様なものが並ぶ文化が生まれた。どちらにも属さない中間の領域こそが、豊かさを生む場所なんです。

増原誠一のイラスト
僕らはすべてを短絡的に意味づけしているのかも。(増原)

吉田

その発想がいわゆる「あわい(*8)」につながるわけですね。

山極

そう。あわいは日本文化の根幹にある概念です。神の世界と人の世界の間。内と外の間。西洋は善と悪、自己と他者を2項で分ける。でも日本人は「どちらでもない場所」をあえて残してきた。どちらにも属さないからこそ、そこに想像力が入り込む余地が生まれるんです。

盆栽はミニチュアの木じゃなくて、そこに老木や巨木を見る。文楽(*9)の人形は西洋の操り人形とは違って、生身の身体では演じられないような世界の深みを見せてくれる。黒子が3人で動かしていても、我々の目には人形の動きだけが見える。あわいがあるから、見る側が自分の想像で世界を補完できる。村上春樹の小説にはパラレルワールド(*10)を往還する構造がよく出てきますよね。

もちろん誰だって場面によって違う顔を持っている。ただ西洋的なアイデンティティは「どこにいても同じ自分」が理想とされる。日本人はむしろ、複数の自分を使い分けること自体を自然に受け入れてきた。僕は家庭では父親で、ここでは学者。その切り替わりの間に、あわいが潜んでいるんです。メタバース(*11)には、まだあわいが生まれていない。アバターは向こう側の世界にしかいない。こちらに戻ってこない。

吉田

つまり、本当の自分がいない世界だとパラレルワールドにはならない。バーチャルの世界でのつながりは本当の自分とのつながりと別物と感じてしまうんですね。

山極

でもそこに往還の設計ができたら、パラレルワールドになる可能性はあると思いますよ。

吉田健太郎のイラスト
時間の共有だけはどんな技術にも代替できない。(吉田)

今後ニーズが生まれるのは人々が求める「社交」だ

山極

さて、僕がこれからの最大のビジネスチャンスだと思っているのは、社交なんです。人々は本心では出会いを求めている。でも自分から場をつくるのは面倒だから、うまくオーガナイズしてくれるところにお金を払う。コンサートやスポーツ観戦がそうでしょう。だけどそれは、社交に見えて社交になっていない。

増原

エンターテインメント体験は、現代ではオーガナイズされすぎて気づきが生まれないこともある。

小布施

スポーツやライブのイベントに、ファン同士の社交の機会がもっとあるといいのかもしれませんね。

山極

出会いと気づきこそが、人間が生きるうえで最も大事なものなんですよ。海でも空でも植物でもいい。予期しない出会いから気づきが得られることが重要です。しかし、現代において出会いは少なくなっている。その大きな要因ですが、ある調査によればスマートフォンの1日あたりの使用時間の平均は4時間程度とされています。かつて人と過ごしていたはずの4時間が、毎日画面に消えている。現代社会では、社交が奪われているんです。

吉田

スマホとSNSでつながりが膨大になったけれど、稀薄なつながりでは孤独は解消されない。だからリアル回帰が進むんでしょうね。

小布施

気づきといえば、子供に「企画」の授業をやっているんですが、子供同士が言葉を交わす中でアイデアが降ってきた瞬間、目の色が変わるんです。「企てる」という行為が、気づきのエネルギーを生む装置になっている。それが見ている僕にまで伝わってくる。

小布施典孝のイラスト
アイデアがひらめくと、子供たちは急に目を輝かせる。(小布施)

山極

そう、その気づきが生まれるかどうかには、実は規模が重要でね。ロビン・ダンバー(*12)という人類学者が脳の大きさと集団規模の相関を見つけている。5人ならリーダーはいらない。音楽のバンドくらいの人数ですね。15人だとファシリテーター(*13)が必要で、日常の付き合いの60%はこの15人で回っている。50人になると、絶対にリーダーが必要で、一番の役割は人を入れ替えること。同じ顔ぶれのまま放っておくと停滞するからです。150人が民主主義の限界で、これは脳の大きさに対応している。社交をデザインするなら、この数字を意識しなきゃいけない。

そして、時間が信頼の係数です。嫌いな人でも、1週間一緒に過ごすと信頼が生まれてくる。身体感覚が同期するから。みんなで食事をすると時間がかかるでしょう。一人で食べれば10分で済む。でもその「合わせる」時間こそが社交の本質なんです。同窓会がなぜ気持ちいいかというと同じ時間を共有した記憶があるから。

社交により気づきが生まれる。鍵は「遊び」の特殊性

山極

社交の本質はね、遊びなんです。ホイジンガ(*14)という歴史学者が言ったように、遊びには経済的な目的がない。今の社会は、時間を使ったら何か利益がないとまずいと思い込んでいるけれど、社交はそうじゃない。自分の時間を差し出して共有する。しかも遊びでは、一番弱い人がイニシアティブを握る。

小布施

どういう意味ですか?

山極

子供と遊ぶ時は、子供に合わせないと遊びにならないでしょう。ゴリラもそうです。大きなゴリラが小さいゴリラと遊ぶ時、わざと組み倒されてやる。追いかけたり追いかけられたり、役割が交代するから楽しくなる。対等性が担保されて、初めて信頼が生まれる。AIは物語を生成できるけれど、身体を伴わない。信頼は、身体を通じた時間の共有からしか生まれない。

ゴリラと人間のイラスト
ゴリラでも人間でも、ともに過ごす中で“遊び”という社交から、コミュニケーションや信頼が生まれていく。

吉田

昨年実施した電通の調査でも約3分の2がAIに感情を共有できると回答し、SNSよりもAIの方が気持ちが伝わると感じ始めているようです。その一方で、いくらAIに感情を共有しても、自分を理解してくれる、わかってくれる、という孤独を解消する信頼関係は生まれないのでは。AIに頼らない出会いでビジネスをつくりたいです。

山極

僕は漁師さんと直接契約して、毎月5000円を払っているんです。すると向こうが選んだ海産物をレシピ付きで送ってくれる。店頭の値段とは関係なく、僕らの間で価値を決めている。人の使った時間がものに宿っていて、それを受け取ることは、その人の時間をもらうことに等しい。大相撲の力士が師匠のまわし(*15)で土俵に上がるのは、そこに歴史が宿っているから。新品を買ってあげるよ、では信頼は生まれない。人の歴史が映り込んでいないと、つながりが出てこない。

増原

まさに今日のこの時間もそうですね。出会いと気づきがある社交をつくらなきゃいけないというのが、全部つながった気がします。

山極

社交は遊びであって、遊びは経済の外にある。でも遊びがなければ信頼は生まれないし、信頼がなければ社会は成り立たない。

吉田

テクノロジーが発展した先、未来のコミュニケーションでは実は身体が重要。面白いですね。

増原

今日は「人類にとって未来に必要なのは何か?」を問われた気がします。その一つとして、「社交の場」をデザインすることが、人類のグロースにつながる。みなでそこに向かいたいですね!

未来円卓会議の様子

人類の進化に必要な、気づきと出会い。
それは、目的のない社交から生まれる。

未来の人類進化をつくる
無目的社交 ビジュアル
アートディレクター、イラストレーター/小林千秋(電通)

dentsu Japan

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