まだ客のいない銭湯の浴場は、音が少ない。床に残った水をデッキブラシで流すと、天井に反響する。蛇口をひねる金属音、桶を重ねる音。店主の大久保勝仁さんが丁寧に汚れを落としたケロリンの桶を重ねて、洗い場に黄色い山をつくる。
銭湯という家業を引き継ぐとは考えていなかった。「おばあちゃんが、電気湯をもう閉めると言い出して。それはもったいないと思って」。大学院で建築や都市開発を学び、その後はNGOや国連関係機関の仕事に就いた。「やっていたのは、居場所づくり」。アジアのスラム街に赴き、住民も学生も入り交じる場をつくり、人々の声を聞いた。
ただ、現場で聞いた話も、国連にレポートするときには統計の数字となる。「データになった瞬間にそぎ落とされる声、言葉にならない沈黙や感情。それが見えなくなってしまう」。声を反映した改善を、大きな組織で実現するには時間もかかる。話を聞いた人たちのリアルな声にどれだけ応えられるのか、それを考えるようになった。
どこの国でも、都市には人が集える場所が少ない。正確に言えば、「仲良くならないと入れない場所が多すぎる」。ノリが合わないと、何か違いがあると、はじかれて居場所を失う。銭湯は、遠くも近くもない距離感でいられる場所だ。洗い場で交わされる、取り留めのない話。「会話があっても、リズムの交換のようなもの。話を聞いてないこともあるし、会話が続かなくてもいい」。それでも、人は裸で、並んで湯につかる。
大久保さんが銭湯を引き継いで、若い客も増えてきた。サウナ目当てで来る人もいれば、初めての銭湯に緊張した様子の人もいる。マナーを知らない人も多い。カランの使い方、声のボリューム。「ヤンキーの若者も、おじいちゃんにひと声叱られて、学んでいたりする」。いまは、誰かが誰かに教える、学ぶ環境も失われてきた。「電車の中で人にぶつかっても、声をかけないのが普通になってしまった。小さい時から、親に知らない人には話しかけるなと教えられていますから」。都市に生まれ育つと、知らない人と知り合う場所すら見つけられない。「銭湯なら、知らない人とでも対話ができる。人それぞれ、ただ違うだけ。湯につかりながら、それがわかる」
いっぽうで、銭湯だけでは足りないとも感じる。「身体的な条件だったり、LGBTQだったり。どうしても銭湯に入れない人もいる。リズム感のある軽い会話が苦手な人もいるでしょう」。違いを抱えたまま、黙ったまま、いられる場所があったらいいと思って、近所に書店をつくった。「銭湯は会話、本屋は対話。椅子に座って本を開き、言葉を交わさなくてもいい」。下町の商店街にある銭湯と本屋。ハレとケの両方の場所を、大久保さんは行き来する。
書店の名前は〈kamos (カモス)〉。「魚屋さんだった小さな場所ですが、若いころに自分が学んだ哲学や人文、芸術などの本を並べています」。大久保さんと共同代表の柳下藍さんの二人がつくったタブロイドペーパーに、「醸す(かもす)で解す(ほぐす)」と題された原稿が載っている。「大きな物語に依拠せず、自分自身の言葉として解きほぐし、編み直していくことは容易ではない」。この本屋が、誰かの言葉に耳を傾けられるようになる一助になればと思う。
湯を張るときは、湯船の縁にしゃがみ込み、手を沈める。暑すぎないか、ぬるくないか。温度計を見る前に、指が先に判断する。「今日はこれくらいですかね。温度計に頼らないのは、前の担当者から引き継いだやり方。同じ温度でも、季節によって、時間によって、感じ方が違う」。湯の表情や微妙な温度差は、自分の手で確かめる。
銭湯の経営は、昨年ようやく黒字になった。つらいこと、嬉しいことを尋ねてみた。「そのどちらも、年末年始です」。土曜が定休だが、年末年始は休まない。そして、普段は日曜だけ営業する朝風呂に加えて1月2日の朝も開ける。「下町のこの辺りは家に風呂がない人もいるので、正月に銭湯が閉まっていたら寂しいじゃないですか」。元日の湯に入る最後のお客さんが帰った後に、銭湯を片付け終わるのは夜中2時ごろ。早朝4時には朝風呂の準備が始まるから、寝る暇がない。「つらそうなのを見かねた常連さんが、正月に働きすぎじゃない、休みなよと声をかけてくれるのが嬉しい」
そこには、「良質な孤独」がある。ひと言だけのやり取り、さっと会話を切り上げる所作。その積み重ねが、解(ほぐ)される空気を醸(かも)す。大久保さんは、それを「共在(きょうざい)」と呼んでいる。「銭湯は、徹底的にいい銭湯でありたい」。町にかろうじて残る、誰もが受け入れられるこの居場所を、次の世代に渡していく。















