“国”という枠を超えていく。翻訳家・藤井光が解説する、世界文学の新潮流

“国”という枠を超えていく──世界文学において新たな感性を持った作家と注目すべき言語圏の潮流について、ノーベル文学賞作家を起点に翻訳家の藤井光さんに話を伺った。

photo: Nanako Ono / text & edit: Yoko Hasada

移民文学

多様な現実を描き、ステレオタイプを揺さぶる

「2000年以降の文学賞は間口を広げている傾向があります」と藤井光さん。国際ブッカー賞や全米図書賞に翻訳書部門が登場・復活し、メジャーな言語圏に限らず様々な国の作品を取り上げようとする機運が見られる。

また、ノンフィクション作家のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、アーティストのボブ・ディランがノーベル賞を受賞するなど、ジャンルも多様化。並行して、移民2世や複数の言語を使いこなす作家が登場し、アイデンティティの複雑化を象徴する“母語を持たざる者”の流れがある、と藤井さんは話す。

「私自身、国という枠に収まらない英語圏文学を訳していることもあり、果たしてこれは何文学なのか?と自問する機会が増えました。アフリカ人作家初の全米批評家協会賞を受賞したチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの小説『アメリカーナ』は、主人公がナイジェリアから米国、再び祖国に戻るという設定です。このように、現代の移民文学は往還する移動をよく描く。まるで、文学を国単位で語ることの限界を問いかけているようです。

また、インド系アメリカ人作家のジュンパ・ラヒリは第1言語がベンガル語、第2言語が英語ですが、ローマに移住し、現在はイタリア語で創作。多和田葉子も日本語とドイツ語で創作するように、作家自身が移動して言語が変わるケースも。国で文学を語ることの限界を考えさせられます」

移民作家の代表的存在であるアディーチェは、TED Globalで『シングルストーリーの危険性』と題した講演を行った。単一の視点で語られる物語、つまり先進国はアフリカに対して一面的な視点でしか物語を書いていないと指摘。移民につきまとうステレオタイプを揺さぶろうと、作家たちは物語を紡ぐ。

「シングルストーリーに収まらない多様な現実が母国でも同時進行であること、一方で移民作家は常に故郷と移住先の中間にいるという複雑さを抱え、画一的なイメージを再生産しないよう日々闘いながら作品を書いていると感じます。近年では、セネガル出身のモハメド・ムブガル・サールが圧倒的にうまい。小説に登場する超能力的な設定は、フランス側から投影されがちなアフリカ=神秘的といったイメージであり、読者は読み進めるうちに自分たちが持つ無意識の偏見に気づかされます。

『人類の深奥に秘められた記憶』モアメド・ムブガル・サール/著 野崎歓/訳
セネガル出身、フランス語で小説を書く作家が消えた謎に迫る。「サールは自身の来歴の二重性をよく理解していて、アフリカ出身の作家がフランスで何を求められているのかを踏まえたうえで、常識を超えた物語を書く。フランス側の勝手な視点を用いた危うい図式をうまく利用して、我々の思い込みを揺さぶってきます」

サールやノーベル賞作家のアブドゥルラザク・グルナの活躍により、アフリカ文学は複数の言語で盛り上がりを見せ、日本でも国書刊行会による『アフリカ文学の愉楽』シリーズが開始されました。粟飯原文子さんのような優れた翻訳家の存在も大きいです」

韓国文学

世界情勢と通じる分断、見逃せない苦しみを描く

『82年生まれ、キム・ジヨン』をきっかけに日本で起こった韓国文学ブームは記憶に新しいが、韓国文学が国際的に読まれるようになったのもここ10年ほどのことだそう。

「2015年、翻訳をテーマにした学会に出席するためソウルを訪れました。当時、韓国の文学研究者は“なぜ韓国文学が世界で読まれないのか”気にされていて、韓国政府が支援する形で米国の小規模出版社と契約を結び、5作品を翻訳出版する試みがブレイクスルーを生むかもしれないと期待していました。翌年には、ハン・ガンが『菜食主義者』で国際ブッカー賞、昨年はノーベル賞も受賞し一気に知名度が高まった。今年は『別れを告げない』の英訳が出版され評価も高いです」

国外で読まれてこなかった要因の一つとして、歴史や伝統を背景とした作品が多く、内容がローカルかつ長編であることが言われる。

「ハン・ガンは人が持つ暴力性と良心、その両極を探求したいと語っています。彼女が扱うテーマは普遍的である一方で、韓国文学研究者が指摘するように、光州事件など韓国社会の歩みが創作の原点にあります。チョ・セヒのベストセラー『こびとが打ち上げた小さなボール』にも表れていますが、作品読解にローカルな理解が求められる場面がある。ですが、冷戦構造下の虐殺事件やベトナム戦争への軍派遣などローカルな出来事を、国を超えた次元で見つめる視点も重要です。

さらに、韓国ではSFが独自の発展を遂げています。キム・チョヨプのような才能がSF的想像力から、現実社会を別の角度から照らすことで“人や社会の別のあり方”を問いかけるケースが見られる。韓国でも人気のアフリカ系SF作家オクティヴィア・E・バトラーは、マイノリティの在り方としてSFを選ぶのはごく当たり前だと語っていました。社会的分断や抑圧とSFは深いところでつながっているのだと言えます」

中東文学

保守的な環境から脱して、語ることの自由を求める

韓国のトレンドに対して「中東文学にはSFもスリラーも存在感がなかった」と藤井さん。伝統的に、中東地域の文学といえば詩が第一であり、20世紀以降の小説家たちはその影響と格闘せねばならなかった。「ジャンル小説」は傍流のままで、さらに各国での表現の抑圧という問題もあった。

「例えばイラク出身の作家ハサン・ブラーシムはイラン・イラク戦争、クウェート侵攻など激動する社会を目の当たりにしており、その体験を反映したような暴力的な小説を書くことも。そのため、中東地域では発禁処分に遭うこともありました。もともと映像作家で、政府の圧力から逃れるためにフィンランドへ移住し、ヨーロッパで高い評価を受けながら創作しています。

一方で、2010年代からの中東各国ではSF小説やディストピア小説が花開いてもいます。アフマド・サアダーウィーは、小説『バグダードのフランケンシュタイン』で数々の賞を受賞しました。

『バグダードのフランケンシュタイン』アフマド・サアダーウィー/著 柳谷あゆみ/訳
作家の故郷バグダッドを舞台にしたディストピア小説は、30ヵ国で版権が取得された。「実社会でもテロが起こっている状況で、自爆テロでバラバラになった体を拾い集めて人間を創造し、復讐を始めるという悪夢のような話。とにかく不穏な小説ですがそこが面白く、英国の翻訳者による英訳が高い評価を得ました」

女性作家の活躍も見逃せません。パレスチナ人作家、アダニーヤ・シブリーは『とるに足りない細部』で国際的に高い評価を受けています。この作品では、パレスチナの土地がイスラエルの暴力によって奪取され管理されているさまが女性の身体を通して描かれる。

2010年以降、パレスチナ系の若手作家も英語圏で活躍するようになりました。パレスチナが英国の旧植民地だったことも関係し、中東文学の英訳に熱心な出版社が英国にあり、優れた翻訳者がいることも影響していると思います。イサベラ・ハンマードなど、これから本格的に日本語で紹介されてほしいです」

ラテンアメリカ文学

『百年の孤独』と異なる、新世代による文学

中南米の作家といえば、コロンビア出身のガブリエル・ガルシアマルケスが思い浮かぶ。『百年の孤独』が世界的に一大ブームを巻き起こしたことで、以後「同じイメージを繰り返さない」という意識を持った新世代の作家が育った。

「虚構と現実が交錯するマジックリアリズム的な手法と、中南米の混沌としたイメージを再生産しないという姿勢と、都市化が進んだ現在の中南米社会を背景に物語を作る傾向が、新世代の作家たちに共通して見られます。その代表格が、ロベルト・ボラーニョ。『2666』などで知られ、存命であればノーベル賞候補だったのではないかと思います。

アレハンドロ・サンブラの小説『盆栽』は、タイトルの通り余分な要素を物語から削ぎ落としたミニマルな文体。こうした新世代の感性から生まれた作品は、『百年の孤独』とはまた違った魅力があります。最近面白かったのは、ベンハミン・ラバトゥッツの小説『恐るべき緑』。想像と実話の境が判別できなくなるような書きぶりで、独特の世界観に引き込まれます」

『恐るべき緑』
『恐るべき緑』ベンハミン・ラバトゥッツ/著 松本健二/訳
第一次世界大戦前後に実在した科学者、数学者から着想を得たフィクション。「マッドサイエンティストみたいな人がたくさん出てきます。科学や数学というある種型が決まっているものでも、人間の生死や世界の真実など、枠を超えた何かを見ようとする人たちの物語。実話からさらりと虚構に入っていく書きぶりに引き込まれます」

“私たち”とは誰か?国単位では語れない物語

2024年6月、気候変動に特化した文学賞「THE CLIMATE FICTION PRIZE」が新設された。人類共通の課題にもかかわらず、文学作品が少ないことから立ち上がったという。「私たち」とは誰を指すのか、気候変動や移民、難民など国単位では語れないスケールの出来事に直面する機会が増えていると藤井さんは話す。

「多少強引ですが、カズオ・イシグロは“私たち”という線引きの危うさを描いてきました。『わたしを離さないで』はクローン、『クララとお日さま』ではAIとの友情を描き、人間というカテゴリーに属さない存在の意味を問う。“私たち”をどこで区切るのか、という問題はどの社会でも切実になってきているからです。

内戦が激化し、難民の受け入れをめぐる議論も起こっています。そこでも、国民だけが私たちという単位で語られていいのか?見過ごせない現実に作家が敏感に反応しています。アリ・スミスもジェニー・エルペンベックも英国やドイツ人作家の視点から難民を書き、アリ・スミスは難民収容所に入っている難民とペアを組んで物語を編むプロジェクト『Refugee Tales(原題)』に参加。

人の移動だけでなく、気候変動という課題もあります。日本での気温が45℃になることも目の前に迫っているような現実に、作家が本格的に取り組む潮流が来るのではないかと思います。国単位を超えた現象を描く文学は、今後さらに加速していくと見ています」

『秋』四季四部作シリーズ
『秋』四季四部作シリーズ アリ・スミス/著 木原善彦/訳
EU離脱に揺れる英国を舞台にした四部作は『秋』から始まる。「現代の排他的な傾向を、第二次世界大戦中にドイツから逃れてきたユダヤ人の難民を、収容所に入れていた時期に重ねて書いています。“私たち”という線引きを暴力的に行うことで生じる分断への危機感と同時に、物語や芸術の持つ力をじっくり味わえる四部作です」

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