「真珠の耳飾りの少女」が観る者の心を惹きつけてやまないのはなぜか
世界中の人がこの絵を観て、胸の奥が騒ぐような、なんとも抗いがたい魅力を感じている。その理由の一つは、鉱物から生まれた鮮やかな青色にあると思うんです」
17世紀オランダの画家、ヨハネス・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が観る者の心を惹きつけてやまないのはなぜか。そんな疑問に答えてくれたのは、女子美術大学名誉教授の橋本弘安さん。

「黒の背景から浮かび上がるターバンの青は、ラピスラズリという鉱物から作られる顔料、ウルトラマリンブルーによるものです。この絵が描かれた当時、ラピスラズリの価値は純金以上。原産地のアフガニスタンからヨーロッパまで海路で運ばれたため、“海を越える青=ウルトラマリンブルー”と呼ばれました」
そもそも顔料とは、着色塗料やインクの色素となる粉末のうち、水や油に溶けないものを指す。鉱石や土を砕いたものは天然顔料と呼ばれ、中でも色が劣化しにくい鉱物顔料は、古代より高価な交易品として世界中に広まった。ウルトラマリンブルーには普通の顔料の100倍以上の値がついていたが、フェルメールはこの青をこよなく愛し、借金をしてまで使い続けたといわれている。
ルネサンスの巨匠も古代人もラピスラズリ好き!
フェルメールの時代から遡ること数千年。“ラピスラズリ好き”の初代センパイは、おそらく新石器時代に存在した。南アジアのメヘルガル遺跡からは紀元前7000年のものと思われるラピスラズリのビーズが発見され、古代エジプトではツタンカーメンのマスクや石棺に使われたこともわかっている。一方、洞窟画などを描く顔料に利用され始めたのは、6〜7世紀頃のこと。
「かくも昔から、ラピスラズリの青は多くの人を魅了し、アートや工芸品に取り入れられてきたのですね。象徴的なのは宗教画。ルネサンス期のヨーロッパでは、純潔の色、聖母マリアの色とされました。ラファエロもフラ・アンジェリコもマリアにラピスラズリの青を使っている。フェルメールがウルトラマリンブルーを好んだのは、こういった宗教画への憧れもあったと思います」
聖母の服に使われたのは純潔を表す深い青
時代の流れもフェルメールに味方した。17世紀オランダといえば世界有数の貿易大国。東インド会社は最盛期を迎え、各地の珍しい文物がこの国に集まっていた。ラピスラズリもその一つだったのだ。
さて、こうして入手したスペシャルな青でフェルメールは何を描いたのか。実は聖母や貴婦人よりも、日常の服や風景に多く使っているのが興味深い点。「真珠の耳飾りの少女」のターバンは庶民が異国情緒を楽しむべく装ったファッションアイテムだし、代表作「牛乳を注ぐ女」では、台所で働くメイドのエプロンやクロスがウルトラマリンブルーで描かれた。
庶民の日常をラピスラズリの青で品よく表現

そのほか、針仕事に没頭する女性や一人静かに手紙を読む女性の姿、故郷デルフトの風景画にもこの色を惜しみなく使用(逆に、ワインを飲む娘や居眠りする女性の服は赤で描かれた)。フェルメールにとって青はきっと、「勤勉、愛情、慎ましさ」という美徳に通じる色だった。
「そのことを表すためには、多くの先達が聖母の色として用いたラピスラズリの青が必要だったのかもしれません。この鉱物が異国の地からやってきたことも関係したでしょう。文化や美意識の異なる人々もこの青に魅了されている。そういう普遍の美を、自らの絵にもたらしたかったと考えても不思議ではないはずです。私たちはこの青を通してフェルメールの思いを感じ、はるか古代から受け継がれてきた美意識をも共有できる。だからこそ目も心も強く揺さぶられるのでしょうね」