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前田司郎が語る〈風流とんかつ 奥三河〉の味噌カツ定食

あの時食べたこんなとんかつ。劇作家・前田司郎による味の記憶。

Photo: Kayoko Aoki, Tomo Ishiwatari, Kasane Nogawa, Kunihiro Fukumori, Hiroki Tsuji / Illustration: Naomi Tokuchi / Text: Hikari Torisawa, Yuriko Kobayashi, Koji Okano, Izumi Karashima / Edit: Keiko Kamijo

風流とんかつ 奥三河(渋谷)

とんかつ 渋谷 
赤味噌にスパイスを調合した独自のたれはやみつきに。¥1,250

もう随分前のことになるが、舞台の公演が近づくと毎日のように渋谷にあった〈花〉という喫茶店で台本を書いていた。僕は歩きながら考える癖があり、雨の降ってない日は家から渋谷まで片道1時間くらいかけて往復していたのだが、その頃から気になっていた店がある。

つまり二十年近く気になっていた。それだけ気になるなら入れば良いのにと思われるだろうが、タイミングというのは中々合わないもので、もしかすると、お互い好きなのに付き合う機会がないだけで恋人同士になっていない相手が俺にもいるんじゃないか? と思って何人か思い浮かべてみたが、思い当たらないのは、相手が女の子だからであって、とんかつ屋が相手の話をしているんだ今は。

渋谷から恵比寿の間の線路沿いに小さな店が幾つか並んでいる場所がある。その店〈奥三河〉は、道からちょっと奥まったところにずっとある。通るたびに「奥にあるから奥三河なのだろうか」と考えるが、違う事は判っている。ちなみに僕の父方の祖父の出身は愛知県の渥美半島であり、三河だと思うから、なんとなく同じソウルを感じた、と書いたがソウルなんて信じていないので、嘘をつきました。

僕は常々、ソースに疑問を投げかけている。美味しいけど全部ソースの味になっちゃう問題だ。とんかつとソース、相性抜群。キャベツとソース、最高の相性。しかし、あいつを忘れてはいないか?そう、味噌だ。

味噌カツを忘れてはいませんか? 

〈奥三河〉は味噌カツのお店です!ソース?冗談じゃない。味噌だろ、味噌。と思って、念のためメニューを検索したら普通のソースとんかつもあった。良いじゃないか。軟らかいんだよ発想が。とんかつと同じでね、と。

さすがに僕が普通のソースカツを頼むわけにはいかず「味噌カツ定食 ロース」を選んだ。ヒレと迷ったが、ロースの方が先に書いてあったからロースにする。

御覧なさい。美しいじゃないか。味噌汁と豆腐、お漬物にピカピカのご飯、そして、キャベツの山の麓に、味噌がたっぷり乗った揚げたてのとんかつ。

「いただきます」を言いながらすでに箸はとんかつを一切れと、思わせて先ずはオシンコを一口。「あ、これはあれだ、正解の店だ」。オシンコに抜かりが無い店は間違いが無い。美味い。なんかちょうどいい。騒がしくない。ご飯を一口、美味しい、ご飯が美味しい。「いや待てよ?」。良く噛んでみる。「あ、本当に美味しい」。とんかつが誘ってくるが、俺はそんなに尻軽じゃないぜ。レモンをキャベツに搾ってみる。手についたレモンを舐めたりして、すかさず豆腐に少しだけ醤油をかけて食べる。これも美味しい、美味しいが、スーパーで買ったやつだったりしたら、あんまり褒めるのもあれなので、豆腐はそんなに褒めない。

いっちゃおうかなそろそろ。でもなあ。と、箸をとんかつから遠ざけて、とんかつが油断している隙に、一番端っこの衣が靴下の先みたいになっている部分を持ち上げる。箸先がすでに衣のサクッと感を伝えてくる。おちつけ。前歯がいつもより前に進み、とんかつを迎えに行く。逃げる間もなくとんかつが白い歯の間に挟まると、「なんだこれは?」。味噌の塗られた衣から若葉を踏むような軟らかい食感、そして裏面から気持ちの良いリズミカルなサクサク感が、同時に口の中に満ちて、肉の旨味に、ああ、これが味噌か、いや、そんな単純なものじゃない、(味)と(噌)の間に何か複雑な美味しい成分が見事に混ざり合い、一つになって、また味噌になったような、甘みと辛み旨味と食感が口内を支配して「ライスをくれ」と叫ぶじゃないか。ライスを合流させると、手がつけられない。米の甘みが加わって、混ざって融けて、消える前に、次の一切れが供給され、味噌汁で一休みしようものなら、味噌汁までが、とんかつを欲する。レモンをかけたキャベツととんかつの相性も、米が嫉妬するのがわかるのだ。

うめえ。味噌カツ、うめえ。明日も生きよう。