「東大の丹下、早稲田の武」といわれた
俊英の小さな秀作。
神奈川県鎌倉市。江ノ電の極楽寺駅から南東方向に位置する標高50mほどの丘陵に、建築家・武基雄の旧自邸は立っている。今は閑静な住宅街だが、元は山林だった場所を宅地として造成した敷地だ。
急斜面を登り切って回り込んでいくと、白い箱の上に載ったピラミッドのような屋根が目に飛び込んでくる。外からは開口部がほとんど見えないつくりで、森のなかの東屋のように、ひときわ方形の屋根が際立つ。

竣工は1975(昭和50)年。武基雄が65歳のときだ。子供たちはすでに独立し、夫婦で住むことを前提に設計している。南側を地中に埋もれさせた半地下の1階に書斎と寝室、2階に開放的なリビングダイニングがある。
幅の狭い階段を上っていった先に広がる、てっぺんにトップライトを頂いた方形の天井がドラマティックだ。テラスからは、遠く海が見える。
武は、戦後活躍した建築家であり都市計画家である。
「東大の丹下、早稲田の武」と呼ばれた俊英だったが、現在、丹下健三ほど世間にその名が知られていないのは、おそらく後半生は教育者として、その力量を発揮したからだろう。早大の武研究室からは、菊竹清訓ほか、のちの建築界を担う優秀な人材を多く輩出している。
長男の武惣一郎さんは、教え子である早稲田の学生たちが、自宅によく遊びに来ていたことを覚えているという。「父は勉強しかしていない秀才は建築家にはなれないと考えていたようで、君は旅をしたことがあるか?酒を飲んだことがあるか?と。まず人として豊かであれと、伝えたかったんでしょうね」
超高層ビルが都市に林立していく時代にあって、「鎌倉には高層建築は建てるべきではないと、よく言っていました。建築とは自然との調和。風景を壊すものであってはならない。時折、絵巻物を眺めては、江戸の町の美しさを語っていました」。
一方、家庭では一介の父であり夫である。この晩年の自宅に関しては、「台所が使いづらい、風呂場が小さいと、母がこぼしていました。2階リビングは今でこそ普通ですが、当時、家族からは不評で。
その前に住んでいた、やはり父が設計した平屋の家を、みんな気に入っていましたから。
その家を、飲み屋で知り合った人に、父が独断で売ってしまったんですよ(笑)」。家族にとっては、頑固な明治の男だったという。
住み始めて気づく良さがあるのも、
名建築ならでは。
猪熊克美さん、早苗さん夫婦が娘の小学校入学を機に、都内のマンションから旧武基雄邸に越してきたのは2019年春のことだ。
「以前、由比ケ浜の海沿いに住んでいたことがあって。今度住むなら江ノ電の駅から徒歩圏内、海が見えて津波の心配がない場所でと2年くらい探していました」
ネットの不動産情報で見つけたこの家は、その条件にぴったりだった。のみならず「ほかにはない、今の時代に自分たちでは建てられない家」であることが、大きな魅力だった。
武基雄という建築家のことは知らなかったけれど、モダニズムの系譜にある優れた建築であることは一目で理解した。さっそくネットで作品集を購入。売り主である武惣一郎さんとも面談をして、無事、お見合い成立となった。
作品としてもこの家を残したいと考えて、鎌倉市から「景観重要建築物等」の指定を受けた。修繕費の一部を負担してもらえる利点もある。
「武さんは、鎌倉商工会議所の設計者でもあり、景観整備にも尽力された方。鎌倉市の若い職員も武さんのことをよく知っていました」と克美さん。
外観は、ベランダ以外は手を加えず、内装も床、壁、水回りなど使い勝手に支障があるところ以外は、できるだけ既存の意匠を残した。改修工事では、プランやイメージをウェブアプリで工務店と共有。360度カメラとiPadを使い細かく指示を出すなど、夫婦の得意なITを駆使した。
「空間の良さは残しつつ、設備は最新にしました。玄関はスマートドアに、エアコンや寝室の照明はスマート家電にして、スマホからも操作できるようにしています」
冬至には、テラスから見える海の真ん中に夕日が沈む。
「住み始めて気づく良さがたくさんあるのも、名建築だなと思います」
