宮脇檀と、そして家との対話。
自分の直感と質感を足していく。
「この玄関扉も塗り直したいんですけどね。ほかもあるから、なかなか辿り着けなくて」。出迎えてくれた玄関先に置かれたペンキの缶の数々も、この家の景色のなかではサマになる。
「たぶん、以前に住んでた人が一度は塗り直してるんじゃないかな。自分の好きな黄色に塗り替えたいんですよね」と言う。
写真家の高橋ヨーコさんが、神奈川県横須賀市秋谷にあるこの家に越してきたのは、1年ほど前のことだ。コンクリートの箱の角を切り欠いたなかに、ガラスの箱を埋め込んだみたいなモダンな家。1階に寝室と浴室、トイレ、窓から海の見える2階は、LDKのワンルームになっている。
サンフランシスコに暮らして10年。そろそろ日本に帰ろうかと思っていた頃、ネットの不動産情報でたまたま見つけた家だった。

「見た途端、好きな感じ!って思って。焦りましたもん。メールして、すぐに帰りますから見せてくださいって」
築40年。建築家の宮脇檀が設計した〈森ボックス〉という名の住宅だった。竣工当時は別荘として建てられて、持ち主が替わっても大事に住み継がれてきた。
今回売りに出すときも、オーナーは「この家を大事にしてくれる人に」と言った。話してみれば、以前、高橋さんの展覧会を見に来てくれたことのある人だったという、出来すぎたようなエピソードも、この家が引き寄せた縁かもしれない。
人気の物件で、何人かの知人が狙っていたと後から知った。
「交通が不便なところなので立地は悩みましたけど、住んでみたらこんなにいいとこなのかとびっくりしました。春は鳥の声が聞こえるし、夜は真っ暗だし」
そして、ネットで見た第一印象にたがわずこの家は「思った通り良かったし、思った通り不便でした。その不便も楽しい」という。
入居とともに始まった改修工事は、終わりがない。「おそらくオリジナルじゃないものは、取り外しました」。人工大理石のキッチンのように、時間が経っても味が出ない材質のものはオリジナルではないだろうと判断。棚も取り外して、新たにつくり替えた。
同時に、劣化していた部分のメンテナンスも並行してやっている。「木の窓枠は一度全部塗装をはがしてから塗り直しました。天然塗料のオスモカラーを何色か買ってきて、色を混ぜて調色して、元の色に近づけました」

オリジナルに戻すことが目的なのではない。高橋さんには、自分にとってこの場所はこうあってほしいという絶対音感ならぬ、絶対質感のようなものがあって、その直感に従って、まるで家と対話するように、次から次へと手直ししたい場所を見つけていくのだ。
それはおそらく「かっこよければ、すべてよし」という名言を残した、宮脇檀の美学にも通じている。
工事は、信頼できるプロの手も借りるが、塗装や電気の配線など自分でできることはどんどんやる。「気になったら、すぐやりたいんですよね。せっかちだから丁寧にできないんだけど」。
とはいえ、イメージ通りに仕上げるために、サンプルを取り寄せ吟味する手間は惜しまない。
家はずっと探していた。借家暮らしではなく、自分の好きなようにできる場所が欲しかったからだ。
「20年くらい、探してました。知り合いに聞いたり、ネットを見たり。好きなんですよね。家のことを考えるのが」
若くてお金がなかった頃に住んだ東中野の木賃アパートも、サンフランシスコの築100年の部屋も、「ここが素敵だった」とこれまで住んできた歴代の家について語る高橋さんは実に楽しそうで、愛に溢れている。
そして、「新しい住処に替わると、必ず何かしらの色が降りてくるんです。家によって、いつもちょっと違います。今回はこんな感じ」。鮮やかに塗られた扉や壁が、部屋をめぐる光と陰を際立たせる。
「コルビュジエのカップマルタンの休暇小屋みたい」という編集Yの示すスマホの写真を見て、「ほんとだ、コルビュジエに真似されてる」と笑った。
