『アメリカ横断ウルトラクイズ』

1977年〜98年にかけて、日本テレビ系列で全17回にわたって実施された視聴者参加型のクイズ番組。日本各地から集まった参加者たちが「知力、体力、時の運」を合言葉に、グアムをスタート地点としてアメリカ大陸を横断しながら1000問以上のクイズに挑戦。ニューヨークを目指した。

『パネルクイズアタック25』

1975年から現在までテレビ朝日系列で放送されている視聴者参加型のクイズ番組。ルールは、4色の解答席に座った4人の解答者による早押しクイズ形式。正解するごとに25枚のパネルから1枚を選び、「オセロゲーム」の要領で自分の所有パネルを増やしていく。最終的にパネル獲得数の最も多い人が、海外旅行が商品のクイズへの挑戦権を得る。

『クイズタイムショック』

1969年~86年にかけてテレビ朝日で放送されていたクイズ番組。1分間に12問、矢継ぎ早に出題されるクイズに何問正解できるかを競う企画をメインとし、「機械文明に生きる現代人の頭脳と反射神経をテストする」という趣旨の下に企画された。現在は後継番組『ザ・タイムショック』が不定期で放送されている。

『クイズ$ミリオネア』

2000年から2007年にかけてフジテレビ系列で放送されていたクイズ番組。元はイギリス発祥で世界各国でも展開されているテレビ番組『Who Wants to Be a Millionaire?』。徐々に難易度を増していく4択クイズに正解することで、1,000万円の賞金獲得を目指す。番組内で使われる「ファイナルアンサー⁉︎」は流行語になった。

ブンダーカンマーの”驚異の部屋”

15世紀から18世紀にかけてヨーロッパで作られていた、様々な珍品を集めた博物展示室のこと。自然物も人工物も珍しいものなら分野を隔てず一所に取り集められるのが特徴で、珊瑚や石英を加工したアクセサリーから、錬金術の文献、動植物の標本、異国の武具、聖遺物まで展示物は多岐にわたる。

ジオシティーズ

アメリカのYahoo!とYahoo! JAPANが提供していたWEBサイトのホスティングサービスのこと。誰でも無料で自分のホームページを作成・公開、ページデザインのカスタマイズ、ファイルのアップロードなどができ、ブログの前身として1990年代に人気を博した。アメリカでは2009年、日本では2019年にサービス終了。

千円札裁判

1963年、前衛芸術家の赤瀬川原平が「芸術作品」として、印刷所で千円札を印刷。それをさらに加工し、作品として発表するも、検察に起訴され、裁判となり、「芸術」か否か、美術史上に残る裁判となった。1970年に赤瀬川氏の上告が拒否され、有罪が確定した。

THINK4

作家・高山羽根子さんと
「アーカイブが照らす、”知”の未来」を考える。

Presented by FMV

高山羽根子(左)

たかやま・はねこ/1975年生まれ。作家。多摩美術大学美術学部絵画学科卒業。2009年『うどん キツネつきの』で第1回創元SF短編賞佳作、2016年『太陽の側の島』で第2回林芙美子文学賞を受賞。 今年の7月、『首里の馬』で第163回芥川龍之介賞を受賞。

速水健朗(右)

はやみず・けんろう/1973年生まれ。ジャーナリスト。食や政治、都市、ジャニーズなど複数のジャンルを横断し、ラジオやテレビにも出演。〈団地団〉としても活動中。近著『東京どこに住む 住所格差と人生格差』(朝日新書)、『東京β』(筑摩書房)など。TOKYO FM『TOKYO SLOW NEWS』パーソナリティも務める。

クイズ番組の勃興と、日本の”知”の親和性。

2020年上半期の芥川賞受賞作、高山羽根子『首里の馬』は、クイズとは何かをめぐる物語として読むことができる。クイズと文明の記録は結びついているのだ。ところで、なぜクイズだったのか。そこから訊ねてみた。

『首里の馬』は、クイズと文明の記録というモチーフの意外性の部分に惹きつけられました。クイズって、その時代の知識のデータベースであり、それを世間にアウトプットするときのインターフェースでもあると。クイズを多様に捉えていますよね。

小説を書く前に『アメリカ横断ウルトラクイズ』を見たんですよ(笑)。主婦やサラリーマンといった素人が参加するクイズ番組なんですけど、単に一発当てよう、賞金がもらえるぞ、ということではなく、クイズのチャンピオンになることで社会の何かに爪痕を残そうとしているんですよ。

賞金出なかったんですよね。優勝者が潜水艦とか無人島をもらったりしてたのを覚えてます。

赤ちゃんを抱えた回答者のお母さんが後楽園球場を大疾走したり、番組の司会者は絞られていく挑戦者にあだ名をつけて親近感を高めていったりしながら、負けたら脱落、旅先から即時強制帰国というシステムですが、勝ち残れば海外の長期滞在が必要なので、皆会社を休んだり辞めたりして参加しているんですね。

決勝戦まで残れば、ニューヨークのパンナムビルの屋上で緊張の決勝。ウルトラクイズは、クイズ番組の王様みたいな存在で、いや、大人になったら出るぞって、信じていたんですけど、いつしか終わってました。

参加した独身女性が「行き遅れ」なんていじられたりもしていましたが、あれはやっぱり時代だったんだろうなあって。

人生そのものが見世物になるって、リアリティ番組の時代だと珍しくはないですが、そのはしりだったかもしれません。

そもそも進学校の高校の部活に、必ずクイズ研究会があるってことも、すごいことですよね。進学校といえば、かつて年越しのテレビ番組の『ゆく年くる年』で学習塾に泊まり込んで、除夜の鐘を聞きながら生放送をしていたのも思い出します。”合格”って書かれたはち巻き巻いて。

受験前の泊まり込み合宿の風景の中継って定番でした。ものすごい熱狂というか、あれもリアリティ番組的ですよね。そっか、あの時代ってすべてクイズ番組化していたのか。クイズ制民主主義国家ですね(笑)。

クイズって、『パネルクイズ アタック25』 『クイズタイムショック』『クイズ$ミリオネア』などの、その時代を象徴する番組がずっとありますけど、そんなクイズ番組を戦後の”知”のありようになぞらえられないかな、という思いつきが、小説を書くきっかけのひとつですね。高度経済成長期、バブル期、今に至るまで”知の受難”って段階的にあるんだと思いついたんですよ。その歴史と結び付けられそうだなって。

その連想、おもしろいですよね。もともとラジオやテレビ初期のクイズ番組って、小説家とか文化人が解答者だったんですよね。それがタレントになり素人になり、素人のリアリティショーになっていく。おバカタレントブームも、東大王ブーム、インテリ芸能人ブームも、現代の日本人に足りていない知的プライドをくすぐっている感じがあります。

文明をアーカイブすること、アーカイブが未来を作ること。

ーー『首里の馬』には、文明をアーカイブすることへの”問い”がある。何を残し何を受け継いでいくか。その時代の何が注目されるかはわからない。

官僚が会議の文書を残さない、みたいなことが今の日本では繰り返し問題になります。何かを残すということは、高山さんが小説家になる前にいた美術の世界の関心事でもありますよね。

レオナルド・ダ・ヴィンチくらいの昔だと、医学と建築と美術などの知識に現在のような境界はなく、博物学的な考えかたが強かったんだと思います。コレクションは人に見せるためであると同時に、貴族やエスタブリッシュメント層がまず所有するためのものだったりして。

作品を残すことと、技術そのものを残すことの意味が重なっていた時代。しかも残すのは王族とか貴族といった有力者が個人的にコレクションしていたものだったということですね。

日本も景気が良かったころは、地方のお金持ちがパッションで集めたコレクションをミュージアムとして全国のあちこちで公開していたりという文化がたくさんありましたよね。いまでも名残りがあります。ブンダーカンマーの”驚異の部屋“じゃないですけど。

麻雀博物館が千葉の外房の海の近くにかつてあったり、箱根に謎の博物館がたくさんあったりしましたよね。多分、急速に減ってますが。

景気が良いと、郷土の資料を集めているような趣味の研究のような行為が、アカデミズムではない場所にまで広がっていく。大衆知が堆積していくことは、そういうあらゆることのアーカイブにも顕れるのではないかなと。

『首里の馬』の主人公が勤めている小さな郷土資料館って、誰も意味を見出していない郷土的資料が集っている場所という設定ですが、イメージの中に地方のミュージアムも入っている?

そういうところもあると思います。全国のロードサイドにある謎のミュージアムと郷土資料館的な断片の集積される場所が気になっていたりそういう、小さな疑問が積み重なって、断片が合わさって一本の小説になっていったところがあります。

『暗闇にレンズ』だと、明治期にどう映画が輸入されてきて、広まったかみたいなことをすごく掘り下げて調べたりしてますよね。資料魔的なところがあるのかなと思ったんですが。

右/今回、芥川賞を受賞した『首里の馬』(新潮社)。沖縄の古びた郷土資料館の記録整理を手伝いつつ、オンライン通話でクイズを出題するオペレーターの仕事をしている未名子のところに、ある台風の夜、幻の宮古馬が庭に迷いこみ…・・。左/最新刊『暗闇にレンズ』(東京創元社)は明治時代から“映像”に関わってきた女性の一族を辿る年代記。

基本的にはフィクションは”ほら話”でもあるんです。資料を使っていようが、それをどうほらの材料にしてやろうというところで物語を作ります。でも、ほらを書く以上、倫理を大事にしたいという思いもあります。例えば、『首里の馬』の主人公は盗みもする。かなり危うい人物だと書いた人間でさえ思います。それを読んでいる人はどう受け止めるだろう、例えば、違う文化の地域からはどう見えるかなとか、そういうことは常に頭に置いて書いています。

『首里の馬』の舞台は沖縄ですけど、その理由ってあったんですか?

実際に現地に行って見たものの蓄積なんですが、例えば、首里城も昔からお城があったわけではなくて、戦後に再建されるときに、学術的な研究や建築の技術だけでなく、大衆文化に残された建築の技術や文化が組み合わさっているんです。そして、再建費用の一部に、アメリカ資本が混ざっているような部分もある。私はそういうモザイク状にいろいろな要素が絡み合っている話が好きなんです。

わかります。沖縄の町もモザイク状に過去や文化が集積していますよね。琉球古来の文化とアメリカ占領時代の混ざり方が独特ですし。

言ってみれば”歴史のジグザグ感”のようなものですよね。それって”知の保存”にもつながってくる話です。物事って全部がきちんと積み上がるわけではなく、ジェンガじゃないけど、抜けているものもある。そして、その抜けを支えているものもある。

そういうモザイクのかけらを集めて小説にしていく手法は、おもしろいですね。歴史を振り返るときに漏れ落ちるものって、近々の過去であってもたくさんあります。

私が大学を卒業する頃なので、20年以上前ですが、インターネットを始めたときに自分のホームページを置いておけるジオシティーズというサービスがあったんですよ。

僕もジオシティーズでホームページ持ってました。ブログが出てくる前の時代、90年代末から2000年代初頭が全盛期ですかね。

掲示板とかでキリ番がなんとかとか言っていたはず。でもそれは、サービスが終了して、ある日すべてのデータが消去されたんですね。当時、あの場所を利用していた女子や男子の気持ちとか知も雲散霧消しているんだろうなって。

デジタルデータなんだから物質でもないわけで、残せばいいのにと思いますが、案外残らないですよね。コストなんてたかが知れてると思うんですが、それを残すことの重要性って議論になると、”いらないかも”ってなりますよね。地方のヘンテコミュージアムもそうですけど、公式の官の記録やデジタルメディアですらなくなる時代です。その中で何を残したり、見つけ出したりするか。現代版の民俗学のようなものが必要な気がします。

二冊目の拙著『オブジェクタム』という作品を制作しようとしていたころは、赤瀬川原平さんが亡くなったときなんですね。赤瀬川さんの思考の仕方とか、回り込んでものを見たりっていうことに影響された部分は大きいんです。

そもそも美術家であり小説家であるという赤瀬川さんと立ち位置も似てますね。

私は日本画で、赤瀬川さんは現代美術家という違いはありますけど、影響された部分はとても多いと勝手に思っています。いっぽうで、『首里の馬』は、今和次郎さんの提唱された”考現学” なんかについても考えながら書いた部分はあります。考現学は「現在のことを考える」学問なわけですが。今だったら、どうでしょう、駄菓子屋さんにどういうお菓子があって、一番安いのは5円のチョコ、とかそういうのに近い”知のあり方”をずっと考えていたんです。

考現学から路上観察学へという流れが『首里の馬』につながっていてと考えると、いろいろ腑に落ちる部分があります。ちょっと昔のクイズ番組が、社会でどんな意味を持っていたのかという発想もまさにそうですよね。ちなみに赤瀬川さんといえば千円札の表面を印刷、加工した作品に対する「千円札裁判」も忘れてはいけません。

変な話、偽札っておもしろいんです。お札って物語としていろんなことが書いてあるし、テキスト情報であり、印刷技術でもあるし、たくさんの人が持っている絵画、つまり複製芸術でもある。日本の偽札史を遡ると、「チ-37号事件」という事件があるんですよ。1961年、秋田で聖徳太子の千円札に、それはもうそっくりなスーパー偽千円札が見つかって、懸賞金までかけられたんですが、未解決のまま時効を迎えたという事件です。興味深いのは、偽造したのが千円札だったところで、儲けることがきっとそこまで強い目的じゃなかったんじゃないかって思っていて。

効率だけを考えるのであれば、当然、高額紙幣を偽造しますよね。一万円札を刷ったほうがコスパがいい。

そもそも捕まったときの刑罰も重いので、同じリスクであれば一万円札を刷りますよね。だから、名誉欲みたいなものなのかもしれないですよね。偽札って、社会経済のシステムそのものへのテロリズムで、混乱が目的だったのかという気もします。

偽札といえば、アイザック・ニュートンって、造幣局長として偽造通貨の有能な取締捜査官だったという話もありますね。印刷は科学の先端だったので、化学の知識が必要だったと。あとヒトラーは、戦争末期に偽ポンドの印刷工場をつくってイギリスに対抗しようとした話もあります。

偽札づくりって兵器のように誰かを直接殺したり傷つけるのではなく、システム自体を麻痺させる手段なんですよね。ほかにも例えば映画もそうで、第二次世界大戦でも戦争の手段として映画が使われました。ディズニーのキャラクターが出てきて、戦争を啓蒙するプロパガンダに使われたりというのもそうですね。

まさにそれが『暗闇にレンズ』のモチーフですね。

芸術はそれ自体でお腹いっぱいにはならないけど、それはそれでいろいろに利用されたりしていて。

小説も時代を超えて人に影響を与えることのできる武器なのかなと思いますが、今の時代のヒントを考える上で、小説家という職業について思うところってありますか。

小説家は、今起こっていることを書いて知らせるというよりは、タイムラグがあって、時間を置いてから何かを書くという職業なんではないかと考えています。例えば、最近は好きな野球についての原稿を頼まれることがあるんですけど、プロのスポーツの記者の人たちは、その試合のことをすぐに伝えなくてはならない。その力は私にはない。試合後どころか、シーズン後になってしまう。でも、すぐに反応することとは、違うものを残す側面があるんだと思います。物事は、すぐに答えを出せばいいものではなくて、熟成が意味を持つことがあるんじゃないかって。

ーー答えはすぐに見つけなくともいい。すぐに答えを出すのではなく、じっくり考えて、そのあとに出てくる答えを待つのが小説家なのだという。なぜ時間をかけるのか。時代のどこか片隅に眠っていた何かをアーカイブする作業としての小説。それはすぐに流れていくものと留まるものの違いを考えることでもある。そんなバランスは、小説家でなくとも、我々の日常の生活においても不可欠なものだ。ゆっくりと出した答えは、長く役立つのだ。

今回、速水氏がインタビューのリサーチやメモに使用したのが、13.3型モバイルノートPCの富士通パソコンFMV「LIFEBOOK UHシリーズ」。シリーズ最上位モデルである「LIFEBOOK UH-X/E3」は 約634gの世界最軽量※モバイルノートPC。圧倒的な軽さ&PCle接続に対応したSSDの搭載で高速起動。移動の合間などちょっとした時間でも、 いつでもどこでも気軽に素早く作業ができる。

  • 富士通パソコンFMV「LIFEBOOK UH-X/E3」
  • OS:Windows 10 Pro 64ビット版
  • CPU:インテル® Core™ i7-1165G7
  • メモリ:8GB
  • バッテリ稼働時間:約11時間
  • Office:Office Home & Business 2019(個人向け)

※13.3型ワイド液晶搭載ノートPCとして世界最軽量。2020年9月1日現在、富士通クライアントコンピューティング調べ。

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interview&text/Kenro Hayamizu photo/Shota Matsumoto edit/Emi Fukushima

さらに、考えるヒント

第3回のゲスト、起業家・小林弘人さんのテーマ「分散化する世界と、ノイズの重要性」をさらに考えるために、BRUTUSのアーカイブ記事から4つをセレクト。