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築地〈塩瀬総本家〉34代当主が語る、饅頭はじめて物語

饅頭の歴史は驚くほど古い。東京・築地に店を構える〈塩瀬総本家〉は創業1349年。すでに670年を超えている。その歴史を明らかにするために、全身全霊で調べ上げたのが34代目の川島英子さんだ。97歳で、いまだ現役。饅頭の生き字引だ。じっくり話を聞く。

Photo: Norio Kidera / Text: Michiko P. Watanabe

むかーしむかし、中国は元の時代に林浄因という男がおって、日本から渡った禅僧に長く師事しておった。この禅僧、なんと45年も元にいたのだそうな。帰国に際し、林は離れがたく、師と共に初めての日本へ。

当初は京都・建仁寺におったが、時は室町時代。南北朝の対立や足利尊氏と直義の対立もあり、政情不安だったゆえ、林はやがて奈良へ移り住んだんじゃ。
ここで林は饅頭を作って商いを始めるんじゃが、そのヒントは中国のマントウ、つまり肉まんから得たものじゃった……。

「日本の饅頭の始祖、
林浄因の子孫が私なの」

浄因の作った饅頭は、肉の代わりに、小豆を煮詰めて甘葛煎(ツタの樹液を煮詰めたシロップ)を加えたほの甘い餡を詰めたものだった。

浄因以前にも、小麦粉をこねて蒸した「十字」や、点心の蒸しパンのようなものはあったと、鎌倉時代に著された歴史書『吾妻鏡』や仏教書『正法眼蔵』にあるが、浄因の功績は初めて餡を入れたところにある。

浄因の饅頭は大評判となり、ついには、足利尊氏を通して、時の帝、後村上天皇に献上されるまでに。しかし、師事していた禅僧が亡くなると、浄因は妻子を残し、中国に帰国。子供たちは、奈良と京都でそれぞれ饅頭屋を営み、現在へとバトンを渡していくのである。

「これがお饅頭の始まり。そして、この林浄因が、なんと、私どもの先祖なんです」と言うのは、〈塩瀬総本家〉34代目の川島英子会長だ。彼女の代になって初めて、詳細な事実が明らかになってきた。

会長と林浄因との時空を超えた出会いは、何とも不思議なものだった。

「塩瀬のお墓は、京都・建仁寺の両足院にあるんです。そこには、京都・饅頭屋町で商いをしていた室町から江戸時代にかけてのご先祖さまが祀られていて、母が毎年、お墓参りに行っていたんです。
私もときどき、お伴していました。母が亡くなる前年のこと、お墓参りのあと、ふと足元を見たら、朽ちかけた小さな墓石があったんです」。

よく見ると、かすかに残る「盬(塩)」という字を発見。周囲を見回すと、同じような墓石がいくつかあることに気づく。この墓石の改修整理をきっかけに、何かに背中を押されるように、会長のルーツ探しの旅が始まる。

次々現れる新事実
中国に石碑を建てる

両足院に残る過去帳と家系図を紐解き、エビデンスとなる文献を探し出しては読み解き、読んではまた調べる、を繰り返し、会長は歴史の扉を次々とこじ開けていった。

塩瀬という屋号は、応仁の乱の折に戦禍を逃れて移った先が、三河の塩瀬村だったことに由来する。
「でも、一度も行ったことがなかったの」。それが思いがけずテレビ番組で訪ねることができたり、東京大空襲で焼失してしまった、足利義政から授かった大看板の資料が出てきて復元できたり……。
会長の執念ともいうべき調査が進むにつれ、次々協力者が現れ、また、欲しかった文献が見つかっていったという。

さらに会長は、林浄因と日本に残した妻子や子孫との、今生での魂の邂逅を願って、中国に石碑を建てることを思いつく。大使館の協力も得、中国サイドが納得する事実を積み上げ、困難を超えて、1年という異例の速さで杭州に石碑を建立するのである。

「何か見えない大きな力に導かれているように感じました」

武将にも愛された饅頭
その饅頭、今もあります

〈塩瀬総本家〉の名物に「本饅頭」がある。一見、真っ黒いあんこ玉に見えるけれど、極薄の皮膜のような皮に包まれている。
この本饅頭、林家7代目の林宗二が考案したものだが、徳川家康にも好まれていたそうだ。家康が戦場に赴く際、必ず携帯していた念持仏が黒本尊(現在は芝・増上寺に安置)。

黒つながりというのも面白いが、長篠の戦いに出陣する際、宗二が献上したところ、兜の中に入れて黒本尊に供え、戦勝祈願したのだという。

この本饅頭、昔のままの姿で、現在も店頭に並ぶ。これってすごいことではないか。何百年と作り続けられているということだ。家康気分で、苦しゅうない、なんて言いながらパクついてみたい。

その後、江戸幕府が開府されると、幕府の御用を務めるために江戸に移り、増上寺御用達となり、黒本尊に供えられた。明治になると宮内省御用達となる。何とまあ、輝かしい歴史であることよ。

優秀な子孫たちの尽力で
饅頭屋、現在も繁盛す

話は戻るが、林浄因は結婚に際し、紅白饅頭をこしらえて、周囲に振る舞ったという。そして、子孫繁栄を願って大きな石の下に埋めている。これが、奈良・漢國神社内にある林神社に残されている「饅頭塚」である。

東京〈塩瀬総本家〉饅頭の製造風景
ツヤツヤと光る蒸したての「本饅頭」。小指の先ほどの小さな生地で、あん玉を包み込む。蒸すと生地は透明に。

今日、結婚式の引き菓子やお祝い事に紅白饅頭を配る習慣は、ここから始まったそうだ。また、浄因の孫、紹絆は中国で宮廷菓子を学んで帰国し、ヤマトイモで作る「薯蕷饅頭」を売り出す。

現在の「志ほせ饅頭」や「紅白饅頭」はこの昔ながらの作り方を踏襲し、さらにバージョンアップしたものだという。

かつて、歴代の帝や錚々たる武将に愛されてきた饅頭屋。現在は、東京・明石町に堂々たる店舗を構え、35代目が社長を務める。
そして、21年11月、嬉しいニュースが。若き36代目が陣営に加わったのである。34代目会長の喜びが弾ける。親子3代、守るべき伝統と新たなる挑戦。饅頭屋の未来は明るいぞ。

35代目・川島一世 会長・英子 36代目・一浩
本店の奥にある「浄心庵」と名づけられた「又隠うつし」の茶室で、親子3代。左から、社長で35代目、茶道・裏千家の準教授でもある川島一世さん、会長で煎茶の教授でもある英子さん、そして常務で36代目の一浩さん。