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村上小説を音楽で読む。大谷能生×栗原裕一郎×佐々木敦 Vol.2

音楽がなければ物語はない。村上作品ではポップスもジャズもクラシックも、単なるムード作りの小道具にあらず。それは物語の複雑な時制や展開を助け、作品を先へと導く大切な指針として使われる。村上小説にまつわる著書もある3人が、物語と音楽の関係を解読。一度読んだあの本も、音楽を道しるべに読み直したくなるはず。

Edit&text: Masae Wako

幻と儀式のメロディ

この世に存在しない音をめぐる考察と口笛を吹く、
レコードをかけるという儀式

大谷能生

ここで、『ダンス・ダンス・ダンス』と『ねじまき鳥クロニクル』の間の1992年に発表された『国境の南、太陽の西』の話をしたいんだけど。

タイトルの『国境の南』はラテンでよく知られた曲名で、小説ではナット・キング・コールが歌うレコードを聴くシーンが何度も出てくる。でも、実際はナット・キング・コールは録音してないんですね。

佐々木敦

えっ、どういうこと?

大谷

実際、歌ってないとおかしいくらいハマってるし、ステージでは演っていたのかもしれないけどレコードは存在しないんですよ。そのくらい揺らぎがある使われ方なの。
だから、これは僕の勝手な解釈ですが、この作品が、ポップスの揺るぎない固有性をちりばめた初期作品群と、多元音楽的なクラシックが使われる長編群との分岐点じゃないかと。

佐々木

「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」に通じるものがあるね。「チャーリー・パーカーが実はボサノヴァを演奏していたという架空のレコードの評論」を題材にした2018年の小説。

大谷

架空のはずなのに、後日、中古レコード屋で『Charlie Parker Plays Bossa Nova』というタイトルを見つけるんだよね。曲目も演奏者も「僕が学生時代に適当にでっち上げたものと寸分違わず同じ」なアルバムを。まあそれも幻なんだけど。

佐々木

だから、いつか「実はナット・キング・コールの『国境の南』は存在した!」ってなるかもよ?

栗原

あるいは、ナット・キング・コールが『国境の南』を録音してた、もう一つの世界があり得たかもっていう、『1Q84』的な物語がすでに始まってるのか。曲のオリジナル性とは何だって話になりますが。

大谷

そういうことで言うと、『ノルウェイの森』の冒頭が興味深いんだよね。主人公の“僕”が飛行機に乗って混乱するんだけど、そのきっかけがオーケストラが演奏する「ノルウェイの森」。
“僕”が知っているオリジナルじゃないムードミュージックのビートルズ。つまり偽物を聴いてパニックになるんです。

佐々木

なるほど、「本物と偽物」の二重世界構造がここですでに提示されているってこと?

栗原

本物と偽物という関係性が描かれているのは『1Q84』くらいかな。村上小説の二重世界って実は「この世界」と「異界」が等価に描かれてることが多いと思う。

大谷

そうですね。で、その『1Q84』の冒頭には「(イッツ・オンリー)ペーパームーン」の歌詞が記されている。「紙で作った月でも、あなたが信じてくれれば本物の月になる」。
これから始まる物語がウソか本当かはあなた次第という、この音楽の使われ方と飛行機のビートルズは、オリジナル性をめぐるものとして似ていると思うんです。

幻を呼ぶ音源

もちろん「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」なんてレコードは実在しない。
チャーリー・パーカーは1955年3月12日に亡くなっているし、スタン・ゲッツなどの演奏によって、ボサノヴァがアメリカでブレークしたのは1962年だ。

しかしもしバードが1960年代まで生き延びて、ボサノヴァ音楽に興味を持ち、もしそれを演奏していたら……という想定のもとに僕はこの架空のレコード批評を書いた。

でもこの文章を採用してくれたある大学の文芸誌の編集長はそれを現実に存在するレコードだと思い、何の疑いも持たず通常の音楽評論として、そのまま雑誌に掲載してくれた。

『一人称単数』収載「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」

飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。
それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの『ノルウェイの森』だった。

そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。

『ノルウェイの森』上

なぜ村上小説の登場人物は
よく口笛を吹くのか

栗原

さっき、クラシックは異界への入口的に使われているという話が出たけど、『1973年のピンボール』では、ジャズもそういうふうに使われているのね。

大谷

主人公の“僕”がピンボール台のある倉庫の地下、つまりメタファーとして、死んだ恋人がいる異界へ降りていく時に、口笛でスタン・ゲッツの「ジャンピング・ウィズ・シンフォニー・シッド」を吹くんです。それを合図に異界が立ち上がる。『1Q84』の「シンフォニエッタ」と同じ使い方です。

違うのは、その曲は“僕”が地上でもずっと口笛で吹いていた曲ってこと。それを異界に連れていくんですね。森の中で迷子になった子供がずっと同じ歌を歌ってるみたいな、異界から現実に帰還するための命綱みたいなものとして使われている。

栗原

気づかなかったな、面白い。

佐々木

それにしても村上小説の登場人物はよく口笛を吹くし鼻歌を歌うよね。村上さんって、メロディとかメロディにまとわりつくエピソードの記憶を大切にしてる気がする。自分でも歌えるくらい体に染みついたものが脳内で結晶化して、重要な記憶や物語と結びついているような。

大谷

記憶ということで言うと、過去を思い出したり、終わったものや亡くなった人を追悼したりする時にも、必ず音楽が鳴りますね。

栗原

『ダンス・ダンス・ダンス』で、“僕”と、この後死んでしまう五反田くんとが、ドライブしながらビーチ・ボーイズのカセットテープを聴くシーンが印象的。「神話というのはみんないつか死んでしまう。永遠に存続するものなんて何もない」「お伽噺だ」って。

大谷

『ノルウェイの森』で、僕とレイコさんがギターを演奏して直子さんを追悼するのもそう。ヘンリー・マンシーニの「ディア・ハート」を弾き、ビートルズの「ノルウェイの森」を弾き、50曲の最後に再び「ノルウェイの森」を弾き、終わってしまった過去の世界を、音楽を使って呼び戻して対話するということをやっている。

黙って向き合う2人でも、
レコードさえあれば

大谷

僕が本当に象徴的だと思うのは、『ノルウェイの森』で“僕”と直子がレコードをかけ続けるシーン。レコードをかけながら直子がずっとしゃべっているんですけど、たぶん“僕”に聞かせるためにしゃべっているわけじゃない。それを“僕”もわかっているし聞いてもないと思うんです。

そのディスコミュニケーション状態を描くためにレコードがある。でも、会話が成立してなくても黙っていても、同じ音楽を聴いていることで、そこにはコミュニケーションが存在し得る。そういう使い方と描き方。実はこれって音楽の大きな役割なのではないか。

栗原

そこはレコードだということも大事なんでしょう。『騎士団長殺し』でも、村上さんが好きなブルース・スプリングスティーンの「ザ・リバー」は、CDじゃなくレコードでなくちゃ、と書かれてる。

大谷

『羊をめぐる冒険』で、「全てを忘れることにした。失われるべきものは既に失われてしまったのだ」と語る“僕”が、ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」をオート・リピートで26回聴くシーンもある。心の準備ができるまでの時間を示すために、レコードを繰り返し聴くという描写。

たぶん、蝋燭を灯すのと同じような感覚ですよね。針を落としてじっと聴く。何かを待つように聴く。一人でも、誰かと一緒にいても、そこにレコードがあるならば、儀式になり得るんです。

栗原

そういえば『ノルウェイの森』のエピグラフには、「多くの祭りのために」とあった。

大谷

村上小説には、前提として「人間と人間はそんなに簡単にわかり合えない/わかり合えないまま二度と会えない、ということがこの世には起こり得る」というのがあると思うんです。じゃあそれをどうするかとなった時に、儀式としての音楽が登場する。

口笛を吹く、ギターを弾く、レコードをかける。儀式は何度でも繰り返せるものなので、それによって、別れだったりいなくなったりという無数のディスコミュニケーションを、フィクションであってもやり直しできる。そういうシーンが結構あって、僕は村上小説の音楽の使われ方として大事なところなんじゃないかと思っています。

記憶をたぐりよせる儀式の歌

僕は腰を下ろしたまま「ジャンピング・ウィズ・シンフォニイ・シッド」のはじめの四小節を口笛で吹いてみた。
スタン・ゲッツとヘッド・シェイキング・アンド・フット・タッピング・リズム・セクション……。

遮るものひとつないガランとした冷凍倉庫に、口笛は素晴しく綺麗に鳴り響いた。僕は少し気を良くして次の四小節を吹いた。そしてまた四小節。

あらゆるものが聴き耳を立てているような気がした。もちろん誰も首を振らないし、誰も足を踏みならさない。
それでも僕の口笛は倉庫の隅々に吸い込まれるように消えていった。

『1973年のピンボール』

直子はその日珍しくよくしゃべった。(略)
僕ははじめのうちは適当に合槌を打っていたのだが、そのうちにそれもやめた。
僕はレコードをかけ、それが終ると針を上げて次のレコードをかけた。ひととおり全部かけてしまうと、また最初のレコードをかけた。

レコードは全部で六枚くらいしかなく、サイクルの最初は『サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』で、最後はビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』だった。(略)
彼女の目から涙がこぼれて頬をつたい、大きな音を立ててレコード・ジャケットの上に落ちた。

『ノルウェイの森』上