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〈村上春樹ライブラリー〉を作ったブックディレクター・幅 允孝の思い

〈村上春樹ライブラリー〉の選書を手掛けた幅 允孝さんによる寄稿文。

Photo: Takeshi Abe / Text: Yoshitaka Haba

風をあつめて

文・幅 允孝(ブックディレクター)

私は東京の青山に12年くらい事務所を構えています。街の噂では、村上春樹さんの事務所も近所にあるようなのですが、いちどもお会いしたことはありません。私の散歩やランニングが足りていないのでしょう。というか、本の配架作業以外の運動を私はしていませんでした。とほほ。また、事務所近辺のレストランやバーカウンターでもお見掛けしたこともありません。とはいえ、私は10代のころから村上作品を読み続けていて、こちらから勝手に近しさを感じています。

今回の〈早稲田大学国際文学館:村上春樹ライブラリー〉のプロジェクトには、大学からオファーをいただいて参画することになりました。村上さんから寄託してもらった初版本や各国語に翻訳されている著書を配架したり、村上作品をキーブックにそこから派生する本を分類・選書・配架しました。

村上事務所の方々とは打ち合わせで何度かお会いしましたが、国際文学館として公平さを保ち、村上色を出し過ぎないようにと言われ最初は意外に感じました。あくまでも、風通しのよい国際文学館として、学生が、読み手が主役の場所づくりを細心の注意を払いながら進めていた姿勢が印象に残っています。

実際、本の配架作業では有志の学生ボランティアが活躍してくれました。私は早稲田の文化構想学部「書店文化論」という講義の非常勤講師をしているのですが、受講している生徒の中から40人ほどが配架やシール貼りなどを手伝ってくれました。例えば、タイトルごとに翻訳作品を分類するのですが、村上さんの仕事は50を超える言語に訳されているゆえ、まったく読めない言葉の本が多々出てきます。また、それぞれの国の出版事情によって表紙のイメージやタイトルにも大きな違いがあり苦闘するなか、なぜかデンマーク語やアラビア語に精通する学生が登場し、その解読に力を貸してくれました。 

ほかにも、大学関係者や文学研究者、ラジオ局、ドキュメンタリー映画クルー、そしてこの『BRUTUS』の特集など、この国際文学館のプロジェクトは、沢山の人が絡みながら大きなムーヴメントになっています。やはり、本人が望むと望まざるとにかかわらず、村上春樹という作家は大きなうねりの中心にいるようです。

とはいえ、台風の目は無風です。だからこそ、作家は集中して作品を生み出し続けることができたのでしょう。ただ、レイモンド・カーヴァーの短編小説集『Will You Please Be Quiet, Please?』に『頼むから静かにしてくれ』という邦題をつけた1991年に比べると、2021年は自身が吹かせている風について意識が高くなっているのではないかと想像しました。なぜなら、この国際文学館からは、風で舞い上がったものを集め、残し継いでいくものにしようとする意思を強く感じるからです。

人と物語の距離が遠くなってきている。そう言われて久しいのは確かですが、これからの時代にこそ、物語が果たせる役割は確かにあると私は思っています。物語では、他者の感情に自身の心を重ねることができます。知らぬ土地の景色を想像し、触れることのなかった歴史を垣間み、時間だって超えていくことができます。しかも、小説作品は1人でしか読めないのも魅力です。

現在のあらゆるエンターテインメントはシェアをベースにできています。皆で動画を回覧し、皆でログインして無人島に行くゲームをたのしむ。簡単に共有できるからひろがり方も膨大です。けれど、本を読む時は孤独に陥らざるを得ません。書き手が必死で絞り出した言霊を、読み手が懸命に迎えにいく1 on 1の精神の受け渡し。そんな独りきりの共有できない時間だからこそ、向き合える何かがあると私は信じています。

そんな時に、この国際文学館の意義は何になるのでしょう?私は村上作品の世界的なひろがりが鍵だと思っています。つまり、簡単に共有できないものを、共有しようと試みるときに最も相応しい作家が彼なのではないかということです。

100人いたら、100通りの読み方が個々のなかには積もります。この国際文学館に置かれる大きな長机の端と端に座って村上作品を読んでいる人は、まったく違う読みをするはずです。ひょっとしたら、言語すら違うかもしれない。けれど、そこには言葉すら交わさぬ或る連帯が生まれることでしょう。他者との、世界との関係にもがき苦しみながら、その枷を溶かしていこうとする読み手同士が共有する見えないアトモスフィア。そんなものが、この文学館で醸成されることを私はイメージします。

残念な事実として、時が経てば書き手も読み手もいずれ居なくなります。けれど、うまくいけば物語のサークルは継がれ、また新しい書き手と読み手が生まれてきます。瞬間的な共感ではなく、切実なエンパシーとして物語を体の芯に刻むこと。時間の奪いあいが激しいなか読書行為に没入する時間をつくること。それらを繋いでいけば、この国際文学館で物語は読まれ続けると思います。会ったことのない小説家だって、未来の誰かの師であり、友人になるのだと思います。