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鉱物たちはいかにして自然界に存在しているのか?「キング・オブ・カシミール」採掘レポート〜前編〜

近年、鉱物界で最も話題となった採掘の一つ、「キング・オブ・カシミール」。その巨大な結晶が表出した現地画像が出回った際は、あまりのサイズと美しさに、「合成写真では?」と噂されたほどであった。そんな「キング・オブ・カシミール」はいかに掘り出され、運ばれ、クリーニングされて、標本となったか?その一部始終を、探検の責任者である〈Fine Minerals International〉のダニエル・トリンチロと、実際に採掘に携わった現場担当者がレポートしてくれた。

photo: Fine Minerals International, James Elliott(specimens) / text: Daniel Trinchillo / edit: Shogo Kawabata / coordination: Aya Muto

キング・オブ・カシミール・アクアマリン採掘記

原文/ダニエル・トリンチロ

これは僕が体験した、今では「キング・オブ・カシミール」と呼ばれる標本の発見と採掘の物語である。この標本は世界最高級のアクアマリンであると同時に、そのほかのどんな鉱物にも負けることがない唯一無二の標本の一つだ。

本や博物館を通して目にするような優れた標本たちは、無類の幸運と機会に恵まれたもの。そうした優れた標本が生まれるための正しいレシピには、そのロケーションへのアクセス、環境的コンディション、ポケット(鉱物が結晶している晶洞のこと)内での結晶の配置、鉱員たちの知識、その採掘に用いられた技術、そして採掘された後の処理まで、本当に多くの条件が揃わなくてはならない。僕はその実現の可能性を高めるため、母岩を残した正しい状態で標本を取り出し、保存する方法についての様々な実験を繰り返していた。

そして、ダイヤモンド・チェーンソーを使って母岩付きの結晶群を掘り出す方法を長年にわたり鉱員たちに提案してきたのだが、「なぜ母岩のような邪魔なものをつけたまま掘り出してこなくてはいけないのか?」と、自尊心が高い彼らにはなかなか受け入れてもらえなかった。しかし、辛抱強く提案し、いくつかの採掘を経験することで、鉱員たちはダイヤモンド・チェーンソーを使うことに次第に慣れていった。

そんな時、パキスタンのシガール渓谷地方の山の奥深くに、かなりの大きさのポケットが見つかった、というニュースが飛び込んできたのだ。そのポケットの天井部には30近くもの良質なアクアマリンの結晶が美しくアレンジされたように並んでいた。

以下は僕らの代理人が2週間かけて採掘したプロセスの記録である。ここに記されたすべての出来事は300mの崖の上で、そこからさらに30mの横穴で地中に入ったところで行われた、ということを念頭に置いてほしい。急な崖で一歩足を踏み外そうものなら命を失いかねない、いや、確実に死が待ち受けているような状況での物語なのだ。

パキスタン・シガール渓谷地方
鉱山のある崖とそこへ渡るための橋。

6月24日〜27日

早朝に起床し、即座に仕事に取り掛かる。初見時の検証からポケットの穴は非常に小さく、採掘にはかなり困難な場所であることがわかっていた。結晶の採掘を成功させるためには、十分な作業スペースの確保が不可欠で、それを掘り出すのに1〜2週間かかるであろうと予測した。しかし、用意されていた道具はあまりに小さすぎて、これでは作業は何ヵ月もかかってしまう。仕方なく一度山を下り、もっと大きなドリルビッツとウェッジのセットを探して戻ることになり、早速貴重な時間を浪費することになる。

6月28日〜29日

この日の朝、鉱員たちは天井部にある結晶を切り出す作業をしやすくするため、ポケットの床部分を削って低くする作業に取り掛かっていた。ところが、電気ドリルを使用中にドリルがはね返り、一人の顎に当たって唇が切れ、少し場所がズレていたら歯も折れそうだったという彼の頬はすっかり腫れ上がってしまった。幸運にも大事には至らず、午後から目的の結晶群の一部を切り出す作業に入る。

6月30日

作業スペースを広げていく過程で、鉱員たちがもう一つポケットを発見した。切り開けてみると、黒いトルマリンがいくつも地面に落ちている様子が見えた。口を広げると、そのポケットがさらに2mも奥に続いているのが見えた。狭いポケットだったが、大きくて美しいスモーキークォーツの結晶と白いフェルドスパーが見えた。しかし、残念ながら、アクアマリンは確認できず。その宙に浮くクォーツを数点採掘したのち、鉱山主は新しいポケットの閉鎖を指示した。そのほかの採掘はダニエルとの同意事項に含まれていないからだ。

7月1日

夜通し雨が降り、洞窟入口の外に置いておいたものがすっかり濡れてしまった。翌朝8時までその雨は続き、ようやく太陽が出てきたので僕らも出発した。ここで説明しておくと、アクアマリンを掘り出している穴と、寝たり食事を取る穴(ヘッドクォーターズと呼ばれていた)は別にあり、日々崖面を伝って、縁から縁へとトラバースすることから一日が始まるのだ。

パキスタン・シガール渓谷地方/アクアマリン標本の採掘の様子
ヘッドクォーターズでくつろぐ鉱員たち。

そして、この日も作業スペースを拡張するためにひたすらドリルでいくつも穴を開けていく。すると、先日とまったく同じように、ドリルが激しくはね返り鉱員の顎に強く当たった。失神しそうなほどのひどい痛みで、今回は唇を切っただけではなく前歯が欠けてしまった。彼は5分間大声で文句を叫び続けたのち平静を取り戻し、再び作業に戻った。

パキスタン・シガール渓谷地方/アクアマリン標本の採掘の様子
ポケットへとつながるトンネルを広げている様子。時間と手間がかかる作業。

7月2日

結晶群のある天井を綺麗にする作業を始める。まず、結晶に目視できない場所や大きさの亀裂がある可能性もあるため、特別な接着剤で安定させる。次に切り出しラインをデザインするために、そのアウトラインを設定していく。結晶を守るため、ナイロンテープとフォームで覆ったのちに作業に取り掛かり、若くてセンスの良いヤウールという名の鉱員が、ついに切り出しを始める。

7月3日

最終的な取り外しに向けて、天井の結晶群の真下と、その横にさらにスペースを広げる作業を続けると、もう夜になっていた。ここで、崖面で作業する鉱員たちのライフラインである「ケーブルトローリーシステム」について説明をしておこう。小さな資材、充電した携帯電話、そして、応急処置キットなどはこのケーブルトローリーを使って、作業する崖の縁まで下から真っすぐに引き上げられる。

電話をしたかったり、新鮮な果物や水が欲しい、となったりした時に、下にいる者がバスケットにそれらを入れ、ケーブルに結びつけ、それを心待ちにする鉱員が崖の上まで引き上げるのだ。このケーブルシステムなしに、このオペレーションを成功させるための何百kgもの資材を引き上げるのは不可能であった。

寝泊まりする場所(Headquarters)、ポケット(Mine Portal)、便所(Latrine Room)
寝泊まりする場所(Headquarters)とポケット(Mine Portal)、そして便所(Latrine Room)は別の穴があり、トラバースして移動する。

7月4日

ついに天井の結晶群の取り外しに取り掛かる。この切り出しは、正確であることが絶対だ。なにせ結晶と結晶の間が2cmも空いていないアクアマリンを切らなくてはならないのだから。もしノコギリのポジションや角度が1cmでもずれていたら大惨事を招く。とてつもない緊張感の中、鉱員たちは重要な切り出し作業を完璧に進めていくも、3時間もすると皆心底疲れ果て、体が動かなくなった。

〈Fine Minerals International〉ダニエル・トリンチ
坑道内での結晶の様子。酸化鉄などの汚れなどにより少々曇った色に見えるが、これらはのちにラボで除去される。