キーワード

渡辺貞夫

エルヴィスの背景が、私にはジャズと重なって見えました。|湯川れい子

コンボという喫茶店では、鼓膜が破れるような音量で音楽がかかっていました。お客さんはほとんど黒人の兵隊さん。「これが今、NYで盛んに台頭してきているジャズなんだ」って。即興演奏で譜面なんかない、黒人が自分のアイデンティティとして自己主張する音楽だと言われて。みんな目をつむりながら会話もなく聴いているんです。衝撃的でした。その中に早稲田の学生だった大橋巨泉さんや、まだ無名の渡辺貞夫さんとかがいらして、

いつも音楽を求めて、旅をしていましたね。|渡辺貞夫

 バークリーにいた3年10ヵ月ほどの間には、ゲイリー・マクファーランドの10週間のツアーに参加して、ステーションワゴンでアメリカ大陸の東と西を行ったり来たりも経験しました。とにかく多忙な毎日でした。その後、ニューヨークに落ち着いてスタジオミュージシャンとしての生活が始まったんです。けれど〝ニューヨークの大停電〟で半日、電気が止まったとき、日本に帰りたいという気持ちがすごく強くなってね。その日のうち

憧れのアメリカは、まだ遠い国でしたからね。|渡辺貞夫

 箱根の富士屋ホテルの仕事のあと、横浜のクラブでリズムアンドブルーズを毎晩やったりもしました。黒人のGIが集まるハーレムというクラブで演奏してると、周りでGIが踊ったりするんです。それで、「貞夫いけー」
と言われて吹きながら歩きだすと皆が踊りながら後をついてくる(笑)。2階に上がったり下りたり、吹きながら移動してクラブの外に出ちゃったりね。ウィークエンドのジャムセッションを秋吉敏子さんも覗きに来

「吹かしてください!」ってセッションの中へ飛び込んだんです。|渡辺貞夫

 学校では毎日放課後に講堂で、センチメンタル・ジャーニーだったり、アメリカの流行曲なんかを練習してました。当時はダンスホールが流行っていて、宇都宮の街の中に3〜4軒ダンスホールがあったかな。そこへ僕はウィークエンドに楽器持っていってね、2、3ヵ月もしないうちにメンバーになって。吹けないんですけど、あの、見た目だけね。ステージの上の見栄えのために(笑)。16の時に18歳とごまかして進駐軍のクラブで演