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西寺郷太

アイドルになるにはなにより「運」が大事です。

昨年夏、秋元康さんがテレビ朝日と立ち上げたオーディション番組『ラストアイドル』のPRに参加しました。1980年代の〈おニャン子クラブ〉から、現在の48グループ、坂道シリーズまで、女子アイドルの歴史を牽引されてきた秋元さんの仕事術を知れるチャンスと思い、引き受けました。当初のルールは挑戦者が暫定メンバーから1人を「指名」し一騎打ち、勝ち残った7人のみがデビューできるというもの。勝敗がたった1人の審査

安易な共感や参加者を省いたSuchmosのすごみ。

今、小学3年生の息子がサッカーに没頭しています。息子の試合を応援するうちに自分も改めてサッカーにどハマりしてしまいました。ちなみに僕はサッカー部出身。強豪チームに所属し、補欠ですが中学2年生の時には全国大会も経験、その頃からデータ分析が好きで。今回の「W杯」も全試合ノートを記録しながら観続けました。繰り返し聴いたのがNHKのテーマ曲、Suchmosの「VOLT−AGE」。正直、最初は日本のテレビ・

ビリー・ジョエルのあの名曲に隠された元妻の「素顔」。

ビリー・ジョエルを語る上で、豪腕マネージャーとして彼をトップスターに導いた最初の妻エリザベスの存在は外せません。彼女はもともと、ビリーが10代の頃に参加したバンド〈ハッスルズ〉時代からの盟友ジョン・スモールの妻でした。しかし、ビリーの才能を見抜いたエリザベスは、モーションをかけるように。次第にふたりは恋仲へと発展します。21歳の夏、裏切りの三角関係を終わらせるため自殺を試みたビリーは、機転を利かせ

ブルーノ・マーズが愛されるのは彼のポップス愛にあり。

2010年代の音楽界、最大のポップスター、その名は、ブルーノ・マーズ。今年1月28日に開催された第60回グラミー賞においても主要部門3冠を含む最多6部門を受賞。正直に告白すれば、僕は今回主要部門のいずれかをケンドリック・ラマーが獲得するべきだと思っていました。それは彼が世に放ち続けたアルバム群が、合衆国を覆う「白人対黒人」の衝突を極めて現代的に見つめ直した傑作だったから。アデルやテイラー・スウィフ

ペット・ショップ・ボーイズのエピソードは嘘か真か?

洋の東西問わず、長く続くバンドの「メンバーが出会ったきっかけ」エピソードが好きです。僕自身も、今年が「デビュー20周年」ということもあり、NONA REEVESのメンバーとの出会いを様々なインタビューで答えています。数ある逸話の中で印象的なのが、英国出身の2人組〈ペット・ショップ・ボーイズ〉の漫画の冒頭のような出会い。デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、ワム!などが世界中のポップシーンを牽引し

世界一稼ぐミュージシャンの新たなる第一歩は「脱EDM」。

ド派手で機能的なダンス・ミュージック「EDM」が流行して早10年。YouTubeと、スマホの普及で音楽が手軽でパーソナルな存在になったことと反比例するように、巨大なセットやレーザー光線が飛び交う数万人規模の「フェス」が人気を集めるように。世界中で名の知れたトップDJの争奪戦は激化しました。その代表格がスコットランド出身のカルヴィン・ハリス、現在33歳。2014年の推定年収が約80億円の彼も、06年

いろんな乗り物に乗り続ける“魔法使い”トッド・ラングレン。

都会で車を運転していると一方通行や渋滞、駐車場探しなどかえって不便な時も。突然仲間と出会ってもお酒も飲めません。ではずっと「歩き」だけでいいか、というともちろん違う。車に限らず自転車、バス、タクシー。遠い町には新幹線や飛行機。臨機応変にあらゆる交通手段を旅費も含めて選択し、目的地まで快適に行ける。それが「大人の自由」の本質かと。でも、これをミュージシャンの音楽活動に当てはめると、意外に徒歩の人は常

逮捕事件までもポップ曲に昇華したジョージ・マイケル。

昨年(2016年)は衝撃的な訃報が多い年でした。デヴィッド・ボウイ、モーリス・ホワイト、グレン・フライ、そして、たとえ80歳になってもピカソのように精力的に活動していると信じてやまなかった多作家プリンス……。マイケル・ジャクソンの「ロック・ウィズ・ユー」の作者で、尊敬するロッド・テンパートンの逝去もショックでした。そして12月25日。僕の最大のヒーロー、ジョージ・マイケルまでも……。しかし、これは

指輪とともに投げ捨てたホイットニーの輝かしき人生。

1997年5月中旬、ホイットニー・ヒューストンは東京ドーム公演のため都内ホテルに夫ボビー・ブラウンとともに宿泊していました。この来日時、ホイットニーはコンサートのための体調管理を含め多忙を極めます。付き添いで来ていた亭主ボビーは、もともと日本でも彼の髪形や服装を真似したフォロワー「ボビ夫くん」が生まれるほど一世を風靡したスーパースター。しかしこの頃には、プライベートでの素行不良を積み重ね完全に低迷