
寺山修司×和田誠の 『血と麦』。
中学時代買った本で、今も手元にあるのはわずかだ。その一冊は、数年前、本誌「危険な読書」特集で紹介した江戸川乱歩の『犯罪図鑑』だった。次に愛着が深いのが、寺山修司の歌集『血と麦』となる。購入のきっかけは、中学の教師の机の上にあった短歌雑誌を見ていて、広告ページでみつけたものである。ただただ『血と麦』という表題の不穏が田舎の中学生の胸を刺し、中身はわからなかったが賭けにでた。
当時、函入り単行本は
中学時代買った本で、今も手元にあるのはわずかだ。その一冊は、数年前、本誌「危険な読書」特集で紹介した江戸川乱歩の『犯罪図鑑』だった。次に愛着が深いのが、寺山修司の歌集『血と麦』となる。購入のきっかけは、中学の教師の机の上にあった短歌雑誌を見ていて、広告ページでみつけたものである。ただただ『血と麦』という表題の不穏が田舎の中学生の胸を刺し、中身はわからなかったが賭けにでた。
当時、函入り単行本は
絵の具が床に散乱する、柔らかな光差し込むアトリエ。そこへフラリと自転車で現れた横尾忠則は、飄々と力むことなく人生を語ってくれた。「また遊びにいらっしゃい、次はサイケの話をね」。日本を代表する芸術家は、強い自我を撒き散らすことなく、流れるように生きている。「模写」を始めた5歳の頃のままに。
最近なら『半沢直樹』、かつての『おしん』だってそう。海外に負けず劣らず日本のドラマだって、時代ごと語り継がれる作品を残してきた。海外ドラマにはない、その奥深い魅力を、日本の名作を愛する2人が語りました!
園子温が彼の著書『非道に生きる』で言ってることでもあるんだけれど、人間、何歳になっても人生のロールモデルが必要なんです。20代のときは30〜40代の、50代になれば60〜70代の、自分の人生が引っ張られる誰かの人生のストーリーを追いかけていたい。“師匠を持つ”という概念に近いと思う。そういう意味で、僕はずっと(ビート)たけしさんを追いかけているんです。それは、ビートたけしのストーリーを記すためで