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手塚治虫

映画はお金を稼ぐ手段ではなく、使命だと教えてくれた。| 手塚眞

「漫画の神様」と呼ばれる漫画家・手塚治虫を父に持つヴィジュアリストの手塚眞さん。幼い頃から父の漫画やアニメに親しみ、高校時代には映画を作り始めた。映像という表現の世界で生きていくことを選び、これまでに『星くず兄弟の伝説』や『白痴』など数々の作品を発表。公開待機中の手塚治虫原作の映画『ばるぼら』でも監督を務めた。
「父は僕が27歳の時に他界しました。寝る間も惜しんで仕事をしていた人で、ゆっくり顔を合

大学教授が分析 ヒップホップカルチャーで読み解く『ヒプマイ』。

「ここ10年ほど、キャラクターコンテンツとヒップホップの相性はいいんじゃないかと考えていました。まず、アイドルを主人公にした音楽ゲームや、声優さんをアイドルグループとしてデビューさせることが一般的になり、キャラクターを打ち出すために、ほかのメディアと並行して展開することが増えてきた。中でも、CD作品では、歌はもちろん、ドラマなどを収録し、キャラクターの声や特性、ストーリーなど、ゲーム内では詳しく説

エンタツ・アチャコから知ってます、僕は。|糸井重里

エンタツ・アチャコ(横山エンタツ・花菱アチャコ)を聴いたのはいくつの時だっただろう。小学校に入る前かな。「むちゃくちゃでごじゃりまするがな」ってアチャコのギャグが流行ったんですよ。テレビなんてまだない時代。ラジオの時代です。
 
で、昭和30年代。僕が小学生だった頃。中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケ。子供たちを含め漫才が爆発的に広まったんです。まだテレビ前夜。その

おめでたい雰囲気のある、軽やかなおいしさ。|ほしよりこ

 スポンジと生クリームで構成されたケーキが好きなのですが、なかでも〈ユーハイム〉のフランクフルタークランツは軽やかさが魅力的。バタークリームは時々重たいものがありますが、フランクフルタークランツの軽くてふんわりとしたおいしさにはホッとします。初めて食べたのは、子供の頃に両親が結婚式の引き菓子で持ち帰ってきてくれた時だと思います。大人になって今度は自分が引き菓子でいただいたり、おみやげでいただいたり

漫画を持っていっても、4、5年は採用されませんでした。|東海林さだお

 中学2年の終わり頃に栃木から八王子に戻って。高校は進学校でした。隣に一橋大学があって、一橋を受ける人が多かった。僕も勉強に励んだけど成績が良くなくてね(笑)。真面目な高校で喫茶店に入ったことがない生徒がほとんどでした。部活をやると大学に受からないと(笑)。なので、部活はなしです。でも授業中に先生の似顔絵を描いて、みんなに回したりしていました。手塚治虫さんがデビューした時代で、みんな影響されてプロ

手塚治虫の愛した店。

 アトムが生まれた町、高田馬場に店を構えて60年目を迎える〈一番飯店〉。ここでは手塚治虫が好きな具材だけで作ってほしいと頼み、執筆中によく食べていた特製上海焼きそばを味わえる。具材はリクエスト通りの鶏肉、エビ、アサリ、イカ、葉野菜、シイタケ、キクラゲ、フクロタケ。紹興酒の香りと素材の旨味が生きている。食べる時間も惜しんで描き続けた手塚はいつも1日1食で、それに合わせて一皿の量も多め。割り箸を使わな

馬場正道/アジアンヴィンテージ蒐集家

○掲載号/755号「尊敬できる『日用品』。」
○きっかけ/昔から音楽が大好きで、大学生時代は日本各地を放浪して珍しいレコードを集めていた。だけど、滞在にお金がかかることに気づき、物価が安い上海やジャカルタへ旅先をシフト。その結果、日本では決して出くわさない稀少なグッズを見つけ、のめり込んでいく。
○3足のわらじ/平日は普通に働く馬場さん。しかし週末や仕事が休みの日は〈スナック馬場〉の店主として、自