キーワード

手塚治虫

エンタツ・アチャコから知ってます、僕は。|糸井重里

エンタツ・アチャコ(横山エンタツ・花菱アチャコ)を聴いたのはいくつの時だっただろう。小学校に入る前かな。「むちゃくちゃでごじゃりまするがな」ってアチャコのギャグが流行ったんですよ。テレビなんてまだない時代。ラジオの時代です。
 
で、昭和30年代。僕が小学生だった頃。中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケ。子供たちを含め漫才が爆発的に広まったんです。まだテレビ前夜。その

漫画を持っていっても、4、5年は採用されませんでした。|東海林さだお

 中学2年の終わり頃に栃木から八王子に戻って。高校は進学校でした。隣に一橋大学があって、一橋を受ける人が多かった。僕も勉強に励んだけど成績が良くなくてね(笑)。真面目な高校で喫茶店に入ったことがない生徒がほとんどでした。部活をやると大学に受からないと(笑)。なので、部活はなしです。でも授業中に先生の似顔絵を描いて、みんなに回したりしていました。手塚治虫さんがデビューした時代で、みんな影響されてプロ

手塚治虫の愛した店。

 アトムが生まれた町、高田馬場に店を構えて60年目を迎える〈一番飯店〉。ここでは手塚治虫が好きな具材だけで作ってほしいと頼み、執筆中によく食べていた特製上海焼きそばを味わえる。具材はリクエスト通りの鶏肉、エビ、アサリ、イカ、葉野菜、シイタケ、キクラゲ、フクロタケ。紹興酒の香りと素材の旨味が生きている。食べる時間も惜しんで描き続けた手塚はいつも1日1食で、それに合わせて一皿の量も多め。割り箸を使わな

馬場正道/アジアンヴィンテージ蒐集家

○掲載号/755号「尊敬できる『日用品』。」
○きっかけ/昔から音楽が大好きで、大学生時代は日本各地を放浪して珍しいレコードを集めていた。だけど、滞在にお金がかかることに気づき、物価が安い上海やジャカルタへ旅先をシフト。その結果、日本では決して出くわさない稀少なグッズを見つけ、のめり込んでいく。
○3足のわらじ/平日は普通に働く馬場さん。しかし週末や仕事が休みの日は〈スナック馬場〉の店主として、自

金属製鉛筆削り

●名前/諏訪敦●職業、年齢/画家、46歳

●代償行為/大きな展覧会などを控えてストレスが溜まると、集中的に何かを集めて発散させる癖がある。鉛筆削りもそうして集まってしまったものの一つ。

●金属フェチ/鉄くずを拾うほどの金属好き。劣化した状態が美しいものに惹かれる。ほかにもナンバリングスタンプやコーヒーミルなど、「金属製であり、かつ手の中で扱えるもの」をつい集めてしまう。

●手塚治虫/キャラも

帰る場所があるから大丈夫。|松浦弥太郎

 手塚治虫、谷岡ヤスジ、赤塚不二夫。この3人は天才です。彼らの1000ページの本を読むことは、3人の天才と付き合うっていうことだと思うんです。それぞれに哲学があって、手塚治虫ならば“生きる”こと、谷岡ヤスジならば“気持ちイイ”、赤塚不二夫は、やっぱり“バカ”っていうことかな。その3つの哲学は、松浦弥太郎という人間を構成する基本要素になっているかもしれません。「生きる」「気持ちイイ」「バカ」と言うと