
名建築家の考えた、革新的なキッチン。
「住宅は住むための機械である」という名言を残した近代建築の巨匠、ル・コルビュジエは「台所は神殿とはいわないまでも、家の中で最も重要な場所の一つだ。台所も居間も人が生活する場所であるから」とも著した。「名だたる建築家が設計した住宅は、作品として意匠や構成が注目されがちですが、キッチン空間もこだわりの結晶です」と建築史家の須崎文代さんはいう。
産業革命以降、手作業を機械装置に置き換える機械化の波が
「住宅は住むための機械である」という名言を残した近代建築の巨匠、ル・コルビュジエは「台所は神殿とはいわないまでも、家の中で最も重要な場所の一つだ。台所も居間も人が生活する場所であるから」とも著した。「名だたる建築家が設計した住宅は、作品として意匠や構成が注目されがちですが、キッチン空間もこだわりの結晶です」と建築史家の須崎文代さんはいう。
産業革命以降、手作業を機械装置に置き換える機械化の波が
ハンス・J・ウェグナーのYチェア、ル・コルビュジエのLCシリーズ、柳宗理のバタフライスツール……モダンデザインの家具には、いつまでも色褪せないロングセラーの名作が、いくつも存在する。これらに共通するのは、機能美。デザインのためのデザインではなく、機能に則ったフォルムは、変える必要がなく普遍だ。腕時計のデザインも、また同じ。ロングセラーなコレクションやモデルの中には、何らかの機能に特化して開発された
焼損という状態から美術品としての新たな評価を再び取り戻した《刀 燭台切光忠》。同じく、一度は失われたかと思われた価値が再発見された物語を持つ椅子があることをご存じだろうか。
椅子の作者、ピエール・ジャンヌレは1896年にスイスのジュネーヴで生まれた建築家。近代建築の祖であるル・コルビュジエのいとこにあたる。2人がともに携わったのが、1951年から始まった、インド・チャンディガールの都市計画だ。
積層合板の丸い座面に、バーチの無垢材を加工して作った3本脚を付けた、かの有名な丸椅子「スツール60」。アルヴァ・アアルト(1898〜1976)の家具は大量生産を念頭に規格化された「部品」を組み上げて作られ、ある意味単純で色気がないようにも見えるが、それゆえか、今から80年以上も前に作られた丸椅子はじめ、現代の生活空間においても普遍的な魅力を保ち、時代に取り残されないデザイン強度を保ち続けている。
「ボールクロック」「ココナッツチェア」などポップな作風で有名なジョージ・ネルソン。だが彼の真価は別のところにある。広い視野でデザインに取り組んだビジョナリーの仕事には、編集的センスが貫かれていた。
戦後の復興と平等な社会を目指し、1960〜70年代にロンドン各地で建設された公営住宅。その中でも秀作とされるのが、520戸が連なる〈アレキサンドラ・ロード・エステイト〉だ。
建設から約40年、設計者のニーヴ・ブラウンに建築界の最高名誉賞が授与された。
この集合住宅をこよなく愛し、受賞への働きかけを続けた2組の暮らしぶりを紹介。
無垢の木が持つカタマリ感を残しつつも、愛らしくユーモラスにデザインされた小さなスツール。ル・コルビュジエらとともに数々の名作を手がけたシャルロット・ペリアンの、代表作の一つ。羊飼い(ベルジェ)が使う小椅子からヒントを得たというだけあって、腰を下ろした時の安定感が抜群。分厚い座面はなだらかにへこんでおり、尻への当たりも柔らかい。「シンプルな自然素材は、創造力をかきたてる」が口癖だったペリアンは、モダ
水之江忠臣は、ル・コルビュジエに師事した前川國男の建築事務所で家具を担当。イームズ夫妻やウェグナーとも親交を持ったモダニストだった。この椅子は1954年に神奈川県立図書館で最初に使われたものをベースに、100回以上の試作を経て完成した。座面や背もたれの成形合板の形、フレームのディテール、貫の位置などは発表後も検討を重ねた。“図書館椅子”として今も広く親しまれている。
生まれも育ちも北海道ですが、父親が日赤病院の勤務医だったため、小さい頃は北海道内を転々としました。小学校2年生の時に、精神科の病院を開業するために、旭川の近くにある小さな田舎町に引っ越しました。父親は「昭和の親父」的に振る舞うのが好きなのか、普段は口数が少なく、子どもにもああだこうだ言わない人でしたね。その分、専業主婦だった母親が面倒をみてくれました。
兄と妹に挟まれた3人兄弟の真ん中で、特に
建築家が設計した「名作」と呼ばれる住宅は、鉄とガラスとコンクリートの空間をいかに木でつくるか、の格闘の産物でもありました。