
○と○
テーブルクロスの上に
ふたつの ○ と ○
ことの終わりには
ひとつの 。で十分なのに
果物みたいな酸味と
ほのかな苦味は
後から追いかけてくる
これまでの時間を
あつい黒でとかして
それでも寒空の下では
ふたりの息は白くて
5文字の言葉を
耳じゃなく舌で
静かに焼き付ける
テーブルクロスの上に
ふたつの ○ と ○
ことの終わりには
ひとつの 。で十分なのに
果物みたいな酸味と
ほのかな苦味は
後から追いかけてくる
これまでの時間を
あつい黒でとかして
それでも寒空の下では
ふたりの息は白くて
5文字の言葉を
耳じゃなく舌で
静かに焼き付ける
はるよこい
はもう
おわったのさ
それでも
はるはこい
はやくこい
むかしこい
していたね
さよならが
次の季節を連れてきて
僕たちはまた
あたらしい街
自転車の
車輪で描く
いつかの日々を
台所は今日も雨だったので
鍋やフライパンには たんたんたんと
雨粒が音を立てている
僕らは傘をさして
居間を目指して長い旅をしてきた
けれどソファはすでに占拠されていて
見知らぬ旗がたなびいていた
僕らは寝室を目指したが
そこはいつの間にか港で
僕らのベッドはすでに船出していた
家の中にもかかわらず
行く場所をなくしてしまった僕らは
今日もいつもの店で
茶匙と皿の 触れ合う音を聴いている
韓国と日本の関係。前から微妙だとは思っていたが、どんどんお互いボタンをかけ違えているような昨今、アカデミーで4冠を制した『パラサイト』が当たっている。けっこう質の高い韓国映画でも、最近日本ではパッとしない傾向だったが、本気でおもしろいものにはちゃんと日本人も飛びつくことがわかって嬉しい。なにしろ私は韓国映画と韓国料理が大好きなのである。映画と料理が好きな国を嫌いになれるわけがない。それでも長らく
この言葉たちが
素晴らしい詩であることを証明する
簡単な方法をひとつ
このページに火をつけて燃やすこと
ほんの小さな暖かさと
どこかしら懐かしい香りがするなら
これはとても良い詩なはずで
もし言葉から黒煙が上がって
ごほごほあなたがむせこむようなら
早いところバケツで水をかけて
街へ出よう
春の香りはきっともう
すぐそこまで来ているから
うまいものを食う、というのは、恋愛に似ている。たとえば、とてもうまい寿司屋を予約し、その日が近づいて来るワクワク感、そして、緊張感、いざ、おまかせのコースが煌びやかに目の前に現れる時感じる、前戯、本番、ピロートークみたいな、ここはベッドの上かと錯覚するような流れ、支払いのときの、もっと払いたいというマゾッけ。いろいろひっくるめて恋だわー、なんて思うことはなかろうか? 私だけだろうか?
今回
家のない庭を持っている
誰も知らない 深い山あいに
祖母が残してくれた庭
手つかずの木々や草花
住所もなく 垣根もない庭に
ベンチをひとつと
赤いポストをひとつ置く
そして
雪が降り積もったり
動物たちがベンチで休んだり
なくしてしまった
大切な人から手紙が届いたり
木々の葉からのぞく
真っ青な空や
いつか誰かが暮らす
屋根の色を想像しながら
家のない庭を持っている
玄関には靴がある
時折 かかとの高い華奢な靴が
数ヶ月 数年と
訪ねてくることもある
とはいえ
ある日を境にそういう靴は
ぱたりと来なくなったりもする
そうこうしてるうちに
何年もここにいる
見慣れたやつらだけが
丁寧に磨かれて
玄関には靴がある
ただいま
おかえり
そして
さよなら
いくつかの言葉と
玄関には靴がある
テロにより愛する家族を突然失った、24歳の青年と7歳の姪のアマンダ。2人を主軸に、悲劇のあとの日常のパリを優しく繊細に描いた映画『アマンダと僕』は、昨年の東京国際映画祭では東京グランプリと脚本賞をダブル受賞し、絶賛された。「あくまで主観的に、今日のパリを撮りました」と脚本・監督のミカエル・アース。「私が作りたいのは、観た人に“私の気持ちをわかってもらえた”と感じてもらえるような映画です。私自身が思
これ以上なにを望むのか
地球で最も楽な暮らしを
手に入れた男は
日がな砂浜 波と砕けて
ずっと100年 コカ・コーラ
そろそろ潮どき
海にこぎだし
夜はこうかい
おまえのスカート
みたいにふくらむ
ふねの帆が
風をはらんで
遠い街のパナマ帽
まわる地球を指先の上