キーワード

memo

【屈辱の町に香るバター茶】内モンゴルを味わうための語彙力とは。

 ドスの効いた怪しげなビル。「馬記 蒙古肉餅」はその五階にある。その店名からそこはかとなく漂う異国のマッサージを経由した性サービスの気配。いや、それはおのれの欲望の写し鏡か。マーキーモウコローピンと読むらしい。マーキーモウコローピン。読んだ端から覚えようという気持ちが冬の夜風に散っていく。

 それは高田馬場にあった。高田馬場には嫌な思い出しかない。大人計画を旗揚げした25、6歳の頃、この町のハン

かさぶたの着こなし

前号にて「慰謝料の代わりに膝小僧など持って行かれ、棒になってしまった足でコツコツと夜の酒場まで歩く」的なことを書いた。その原稿の締切を終えた昼さがり、昔暮らした家でも見に行こうと思い立って電車に乗って出かけた。空っぽの犬小屋、閉じたシャッター、窓からピアノ。かつての家周辺や街を歩き、しばし昔の思い出に浸ってみたり。そして帰りの駅のホーム、エスカレーターにて私は何十年かぶりに激しく転んで膝を強打して

【食うだけで満足の国】五日間の休暇で何処へ行くべきかという悩み。

 去年の秋口くらいから、ずっと私はつまらない人間なのである。つまり休みなく遊びもせず働いてばかりいるからだ。仕事は楽しい。もちろん苦しいこともあるが、私は主に笑いを取り扱った仕事をしているので、仕事の中に「笑っていられる時間」ってものがある。これは普通ではない。普通でないのはおもしろい。しかし、傍から見れば、働いてばかりいて遊ばない人間ってものはつまらないに違いない。それにいいかげん疲れすぎて来た

浴室の音楽

こんな毎日でさえ
暮らしと呼ぶことが 
ようやく許されるようになり
あまり美しいとは言えないが
わたしはわたしの暮らしの肩を
やさしく抱き寄せ
何か良いところを見つけてやろうと
朝から晩までの時間をなぞってみる
目覚まし時計のいらない月曜の朝
カーテンの隙間から差し込む光
真昼間のバスタブで聞く音楽
運がいいと買えるパン屋
少しの仕事 少しの昼寝 
散歩ついでの一杯のお酒
そして
よくないことだと

【長野、仙台、大阪、小倉、津、そしてケニア。】そして、誰も皆無口で、ウガリを◯◯した。

芝居の巡業で、長野に行き、仙台に行き、大阪に行き、小倉に行き、三重の津にまで行った。「どこ行くの?」「津」。発するのに一秒かからないスピード感に満ちたこの町には、その名前にふさわしく一日しか滞在しなかった。芝居後、食べ歩きをする元気もなく、津の夜は終わったのだった。その土地に旅して、その土地のものを食えない。それは虚しい。仙台では牛タンを食べ、長野では蕎麦を食べた。津には、なんの思い出も残らなかっ

夜あるく木

「慰謝料よこしなさいよ」という段になり
「残念ながら金などないのだよ」というと
「そんなことはとっくに知ってらあ」と
最初の人は耳を引っぺがして持っていき
つぎの人はまぶたを
つぎの人は膝小僧を持っていった

それからというもの
私の名を呼ぶ声は聞こえず
どんな夜にも目を伏せることができず
棒になってしまった足を引きずりながら
緑道沿いの散歩に出るのだが
犬を連れた健康的な恋人たちを目にして
いま

とおくの女たち

いつだったか私の女になり、2016年には昔の女になり、2017年には誰かの女になり、2018年には誰かの妻になり、2019年は誰かのお母さんになっている。ただ淡々と、そんな風に過ぎていくことが骨身にしみるようになってきたなら、あらゆる責任から離れて生きるこの暮らしも少しずつくたびれてきているということなので、私は針と糸でつくろうのだが、いっこうに縫い閉じることができないでいる隙間風。