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日本映画

オリンピックもピンク映画も撮ったのは、俺ぐらいかな。|山本晋也(最終回/全四回)

 結局、ピンク映画は240本から250本ぐらい撮ったのかな。監督になって最初の3本までは面倒を見るって言われたんだよ、会社にね。3本の中から1本でもヒットが出たら監督として雇うからって(笑)。そしたら『未公開の情事』がヒットしたんだよ。いいタイトルだよね。『狂い咲き』『未公開の情事』とかさ。この前、俺の作品の一覧をリストにして持ってきてくれた人がいてね。俺の映画はあれですよ、ピンクのものがフィルム

ライブ盤で鮮やかに蘇るボーカリスト大滝詠一の唯一無二の魅力。

大滝詠一初のライブ盤『NIAGARA CONCERT '83』は、1983年7月24日に西武球場で行われたライブをCD化したものである。65年の生涯において、数えるほどしかライブを開催しなかった氏のライブ音源とあって、発売されるや否や初回限定盤は品切れ店が続出した。というのも、限定盤には77年6月20日に渋谷公会堂で行われた『THE FIRST NIAGARA TOUR』を収録したドキュメンタリー

是枝監督総合監修、日本社会の問題点を見つめたオムニバス映画が公開。

香港で社会現象となったオムニバス映画『十年』。10年後の香港を舞台に自国が抱える問題点を取り上げた作品は、中国では国営メディアに批判され上映禁止になるほどの話題を呼んだ。新たに日本、タイ、台湾の国際共同プロジェクトが始動。日本版のエグゼクティブ・プロデューサーには是枝裕和監督を迎え、10年後の日本を舞台に多様な問題意識を出発点に5人の映画監督が創作した。その一人、『美しい国』石川慶監督に話を伺った

90歳になっても殺し屋の役をやりたいね。| 宍戸 錠

もともと、自分をプロデュースするタイプというかね。その当時、小道具のピストルなんかもモデルガンが少なかったので自分で調達してさ。衣装もいいのがなくて、ウエスタンブーツの装飾を自分で作ってた。ハリウッドまで観に行ってたからね。男でおおっぴらに自分のプロデュースをする、みたいなことをやったのは、俺が日本で初めてだったんじゃないかな。「頰に入れたアンコは取れるんですか?」と先生に聞いたら「顔に傷がついち

映画は現場の共通言語だから、 カントクが「観てない」は恥。 | 入江 悠 (映画監督)

『SR サイタマノラッパー』で注目を集めてメジャーデビューした入江悠監督。29歳の時にWOWOWドラマ『同期』の監督に抜擢された際、役者もスタッフもベテラン層に囲まれ、プレッシャーは相当なものだったとか。「せめて“自分の方が映画を観ているぞ”という自信がないと、現場に入った時に気持ちで負けると思って、撮影準備として、ひたすら映画を観まくりました。例えば、竹中直人さんが休憩時間にポロッと言った映画は

大事なのは、役者の心を開くのではなく、まず自分自身を開くこと。

『東京奇譚集』に収録された村上春樹の短編を、松永大司監督が自らの脚本で映画化した『ハナレイ・ベイ』は、美しいハワイの風景の中、大切な息子を失った母の喪失感を静かに描いていく物語。もとは役者だった松永監督が憧れ、その作品やワークショップを通して演出法を吸収していった橋口亮輔監督に、まずはこの作品の感想から聞いた。