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日本映画

90歳になっても殺し屋の役をやりたいね。| 宍戸 錠

もともと、自分をプロデュースするタイプというかね。その当時、小道具のピストルなんかもモデルガンが少なかったので自分で調達してさ。衣装もいいのがなくて、ウエスタンブーツの装飾を自分で作ってた。ハリウッドまで観に行ってたからね。男でおおっぴらに自分のプロデュースをする、みたいなことをやったのは、俺が日本で初めてだったんじゃないかな。「頰に入れたアンコは取れるんですか?」と先生に聞いたら「顔に傷がついち

映画は現場の共通言語だから、 カントクが「観てない」は恥。 | 入江 悠 (映画監督)

『SR サイタマノラッパー』で注目を集めてメジャーデビューした入江悠監督。29歳の時にWOWOWドラマ『同期』の監督に抜擢された際、役者もスタッフもベテラン層に囲まれ、プレッシャーは相当なものだったとか。「せめて“自分の方が映画を観ているぞ”という自信がないと、現場に入った時に気持ちで負けると思って、撮影準備として、ひたすら映画を観まくりました。例えば、竹中直人さんが休憩時間にポロッと言った映画は

大事なのは、役者の心を開くのではなく、まず自分自身を開くこと。

『東京奇譚集』に収録された村上春樹の短編を、松永大司監督が自らの脚本で映画化した『ハナレイ・ベイ』は、美しいハワイの風景の中、大切な息子を失った母の喪失感を静かに描いていく物語。もとは役者だった松永監督が憧れ、その作品やワークショップを通して演出法を吸収していった橋口亮輔監督に、まずはこの作品の感想から聞いた。

橋口亮輔 拝見して、1作目の『トイレのピエタ』とは段違いだと思いました。感動しまし

『のど自慢』に出たら、鐘三つが鳴ったんですよ。|里見浩太朗

中学・高校時代も富士宮に住んでいて、中学からはテニスを、高校2年から音楽を始めました。西部劇洋画が入ってきた頃で、日本映画はというと時代劇です。チャンバラには興味がありました。小学校4年生の頃に、疎開先の村の小さな神社でお祭りがあって、お芝居をやっていたんです。森の石松の立ち回りを見て、「チャンバラってかっこいいな〜」って。家に帰ったら寝間着の着物の裾をキュッと固めて、腰に物差しを差して、刀を振

気鋭の監督が描く青春群像劇が、世界へ。|藤井道人

 藤井道人監督、真野恵里菜主演の映画『青の帰り道』が、ドイツ・フランクフルトで6月3日まで開催されている日本映画専門の映画祭『第18回ニッポン・コネクション』に出品された。紆余曲折を経て完成したこの映画について藤井監督は「高揚から絶望へ、執着から団結へ。長い長い2年間の夏でした」と語る。現代における日本の若者の「リアル」を描いたこの作品。夢や現実、社会との乖離や順応、そして、もがき……。それらを経

正確な考証と創造性から生まれた日本映画。|ウェス・アンダーソン

 熱狂的なファンを持つカルト監督から、前作『グランド・ブダペスト・ホテル』の大ヒットでハリウッドを代表する監督となったウェス・アンダーソン。新作は日本を舞台とした映画『犬ヶ島』。「ゴミ捨て場と犬、という設定が先にあった。そこからどうしてそこに犬たちがいる状況が生まれたのか……と話を進めようとしたけど詰まってしまってね。でもその舞台を日本にしようと考えたときに、すべてがパッと開けたんだよ」。架空の未

『仁義なき戦い』を手がけた伝説の男と、実録映画の後継者が対面。

 北海道警察の現役刑事が、覚醒剤に溺れ、悪事の限りを尽くした驚愕の実話。『日本で一番悪い奴ら』は、そんな日本の警察史上最大の不祥事といわれる事件を、綾野剛主演で映画化したピカレスクロマンだ。
 前作『凶悪』に続き、再び実録映画を手がけた白石和彌監督が、この日やってきたのは京都。『仁義なき戦い』シリーズなど、映画史に残る実録映画を生み出した伝説のプロデューサー、日下部五朗を表敬訪問するためだ。
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