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東京都港区

あの州の郷土料理。

シチリア住民が日々食べる、滋味深い“まかない”料理。

青く広がる海と空、開放的なシチリアの空気に惚れ込んだという大下竜一シェフ。「現地での修業時代、そこのシェフが毎日のように食べていたまかない料理が本当においしくて」。そんな“まかない”料理がこの店の原点となっている。野生のハーブ・フィノキエットやイワシ、内臓料理など、リストランテとはまた違う庶民の味は千葉県八街市の〈エコファームアサノ〉など仕入

新鮮な海の幸。

小田原の朝獲れ魚介に2人のシェフが魂を込める。

オーナーは日本とイタリア両方のソムリエ資格を持つ淵本聖一さん。シェフはトスカーナの〈ダ・カイーノ〉などで修業した天野智詞さん、〈カノビアーノ〉などで研鑽を積んだ永原武史さんの2人。その強力な布陣により、創造性豊かな料理とワインを堪能できる店。魚介は小田原直送の朝獲れものが中心で、ワインは約300種を用意。「ワインのペアリングコースも3種類3,780

町のワイン食堂。

下町の路地裏で、極厚ビステッカを食らう。

オーナーシェフの大沼清敬さんが、「これを食べてもらいたくて店を作った」と言う一品がブラックアンガス牛の炭火焼き。フィレンツェの流儀そのままにTボーンを30分以上かけて焼くことで余分な脂を落とし、肉の旨味を際立たせる。ワインセラーには100種以上のイタリアワインがあり、解説タグが付いているためセラーに入って自分で選んでもOK。焼き上がりを待ちながらワインを

魅惑の肉料理。

個性豊かな「モツ」の魅力に開眼するトラットリア。

ハムカツならぬ、牛の“ハツ”カツを食べられるのが、こちら。店名にある“トリッペリア”とは「モツ料理専門店」のこと。それだけに内臓料理にはひときわ力が入っていて、オーナーシェフの山内美弥さんは、信頼関係を築いた業者さんから、国産の新鮮なものだけを仕入れる。トリッパのトマト煮やモツのフリットは、丁寧な下処理を施すことでそれぞれの部位の魅力が際立ってい

注目! ニューオープン。

昆布で育つ和牛や産直の鮮魚。力のある食材を直球勝負で。

〈ラ・ビスボッチャ〉や〈イル・ボッカローネ〉といった名店で5年余りローマ料理を学び、その後ローマを中心にイタリア各地で修業を積んだ伊藤淳シェフ。麻布の住宅街に開いたイタリアのトラットリアそのものの雰囲気な店は、居心地がよくてつい長居をしてしまう。メニューは得意のローマ料理を中心に、イタリア各地の郷土料理を幅広く網羅。黒板にはその日のおすすめ

“イタめし”ブームの立役者、 現役ベテランシェフ、大いに語る。

イタめしブームのはしりは、1985年にオープンしたニューヨークスタイルの劇場型店舗〈バスタ・パスタ〉だった。シェフを務めたのは山田宏巳。華やかで軽やか。堅苦しいマナー不要の、まさに新時代の幕開けだった。
 
あれからン十年。日本のイタリア料理は激しく多様化が進んでいる。今も現役であり続ける、歴史の証人3人が怪気炎を上げる。

武田正宏 | La Sosta (白金台)

最初の修業先に名門〈リストランテ山﨑〉を選んだのは「10席の小さな店であらゆる仕事を経験したかった」から。現〈リストランテ濱﨑〉濱﨑龍一シェフの下で4年半。イタリアでもリヴォルノの魚介料理の名店を筆頭に約6年修業し、帰国後〈リストランテ山﨑〉のシェフに就任。エリート街道まっしぐら。でも訳あって料理から2年ほど離れた時期がある。そのまま辞めていたかもしれない。そんな時代を経たからか、今は持ち前のスト

中村嘉倫 | ROZZO SICILIA(白金高輪)

マネージャーで共同経営者の阿部努さんは、修業時代の8年をともにした盟友。口数のあまり多くない料理人と、イタリア料理界きってのエンターテイナー。この絶妙で揺るぎないタッグが、店のキャラクターになっている。師匠はシチリア料理に特化したトラットリアで時代を先駆けた石川勉シェフ。2人とも西麻布〈ベンズィーナ〉から〈ドンチッチョ〉まで勤めた生え抜きだ。中村シェフはシチリアでも2年半修業。巨大な宴会場がある大

岡村光晃 | TRATTORIA CHE PACCHIA (麻布十番)

東京のイタリア料理界のど真ん中にドシッと構える雰囲気だが、22歳で麻布十番〈ヴィノ・ヒラタ〉に入店し、3ヵ月で逃げ出した“黒歴史”がある。でも、「ダクトから漂うニンニクとバジルの香りに“これがイタリア料理か!”と、感動したことが忘れられなかった」。そのパスタ・ジェノベーゼを作っていたのが現オーナーの〈ピアット・スズキ〉鈴木弥平シェフ。仕事に憧れ人柄に惚れて、洋食店で3年コックを経験して返り咲き今に

私のBuono!なイタリアン。| 山田美保子(コラムニスト)

A リストランテ・サバティーニ/外苑前
B トラットリア ケ・パッキア/麻布十番
C リストランテ ダ ニーノ/乃木坂


1988年に雑誌『Hanako』が創刊した頃、いわゆる“イタ飯”ブームが巻き起こりました。当時私は『Hanako』のライターだったので銀座界隈にいることが多くて、銀座インズにあった〈ブォーノブォーノ〉はよく行きました。“アンティパストミスト”“プロシュートボンバ”といったイタ