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バウハウス

ウォルター・シーガルが伝えた、 シンプルなセルフビルド・メソッド。

父はダダイスムの芸術家で、バウハウスの創設者ウォルター・グロピウスらと交流のある家に育ったというウォルター・シーガル。ベルリンの大学ではブルーノ・タウトらに建築を学んだというモダニズムの申し子だ。卒業後はエジプト学に傾倒し、その関係で1930年代に大英博物館のあるロンドンにやってきた。結局、AAスクールで建築を教え始め、建築家としてこの地に根を下ろすことになる。

DAY3:美術館をめぐり歩き 札幌のヘソに戻る。

彫刻家のモダンな自邸を、故人の気配さえ残し美術館へ転生させた 

〈本郷新記念札幌彫刻美術館〉 は、アートと建築の関係がすこぶるフェアだ。ハンバーガーでいったらパテとバンズの関係というか、作品と箱、どちらが勝るでも劣るでもなく等身大の潔い空間を保っている。じっくり作品を味わえたのもきっとそのせいだ。「街で本郷のブロンズはよく目にしていたけれど、石膏原型を観ると感じ取れるものが飛躍的に増えるね」と感

ブラジル・モダンの金字塔、リナ・ボ・バルディのガラスの家。

近くで見ると予想以上に大きいボリュームには、ここで暮らした建築家の大胆な姿勢が感じられる。ピロティに潜り階段を上ると、内部には豊潤な世界が広がっている。ここは、建築家リナ・ボ・バルディが1951年に設計した〈ガラスの家〉だ。

リナが設計した住宅で現存するのはたった2軒。リナは「一般の人々のために仕事がしたい」と、次第に公共建築のみを手がけるようになったためだ。そのうちの一軒が、第1作で自邸の本作

西海岸モダンのアイコン。

1906年スウェーデン生まれ。当時としては珍しく、女性ながら木工職人としての修業を積み、スウェーデン国立芸術工芸大学コンストファクに進んで家具デザインを学ぶ。40年に夫とともにロサンゼルスに移住し、インテリア、家具、照明器具のデザインを多数手がけた。その作風は多くのセレブリティたちに好まれ、女優のグレタ・ガルボやイングリッド・バーグマンのためにインテリアをデザインしたことも。40~50年代にデザイ

イニシャルが揃うネックレス。

2019年春夏コレクションより、クリエイティブ・ディレクターにエディ・スリマンが就任し、ファッション界の話題となっている〈セリーヌ バイ エディ・スリマン〉。アルファベット26文字がすべて揃う新作のペンダントは、繊細な印象のディテールがポイント。各52,000円(セリーヌ バイ エディ・スリマン/セリーヌ ジャパン☎03・5414・1401)

JUNGHANS

クリーンでシンプルなダイヤルのデザインは、バウハウスの現代的な再解釈といえよう。スリムなバータイプの時分針が、的確に各インデックスを指し、長さが絶妙。分秒インデックスを四角に窪ませているのが、新鮮である。さらにダイヤル全体は、緩やかなスロープ状に仕立て、ミニマルな中に豊かな立体感を創出した。優れたデザイン性は、ドイツ伝統のクラフツマンシップが支える。

Cherner Armchair|チャーナーアームチェア (1957)

アメリカンミッドセンチュリーに生まれた成形合板椅子の名作の一つ。デザインは、バウハウスの影響を受けて建築からグラフィックまで手がけたノーマン・チャーナー。大きくうねるアームが特徴で、ジョージ・ネルソンのプレッツェルチェア(1952年)の影響を強く受けたものだともいわれている。華奢に見えるが、背のくびれの部分は合板が厚くなっているなど、強度を確保する工夫も多数。

Ulm Stool|ウルムスツール (1954)

1950年代前半、スイス出身のマックス・ビルは、芸術学校バウハウスの理念の継承を目指すドイツのウルム造形大学の設立に関わり初代校長を務めた。このスツールは学生のために彼が同僚とデザインし、当初は自身の木工工房で製作。シンプルだが技がある適材適所のデザインは教育者としての思想を伝える。サイドテーブルや踏み台にもなり、逆さまにして本を載せて運ぶなど使い方も工夫次第だ。

生まれ育った家を、今また住みこなすという幸せ。

 LAで生まれ育ち、今も生家に住んでいるという人はなかなか珍しい。この家は1949年、ピーターの父の代に建てられた。設計したのは知る人ぞ知るジョセフ・ヴァン・ダー・カー。政界の大物が殺到するほど優秀な建築家だったが、考えが共鳴する相手の家しか造らない。信念の建築家カーに見込まれた数少ない施主の一人こそ、ピーターの父だったのだ。カー建築の特徴は平らな屋根と、ガラスの巨大なスライドドア。道に面した表側