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1974年


“バーチャル”を “リアル”にする空間。 プロデューサーとしてライブに 参戦するからこそ生まれる一体感。(語り手/さやわか)

(barakan’s choice 24)レーベル創始者自ら監修した203曲、壮観です。
“Atlantic Rhythm & Blues 1947−1974”は、アトランティック・レコードの創始者アーメット・アーティガンの監修で制作された、同名のアナログ盤の収録曲をCD8枚に再編集したもの。不世出の音楽愛好家にして天才レーベル経営者のアーティガンについては、ドキュメンタリー映画『アトランティック・レコード:60年の軌跡』に詳しい。

MAKOTO TANIJIRI × Bar B-10|曲ごとにスピーカーを切り替え、音の気持ちよさを追求。

あるレコードジャケットデザイナーの記録。

「また、ニッポンを旅しよう」柚木沙弥郎

写真家・田附勝が出会った、倉庫に眠り続けてきた「縄文」と「近現代」の痕跡。
各地の博物館の収蔵庫や発掘現場で保管されていた縄文土器のかけらを撮影したシリーズで構成する展覧会『KAKERA きこえてこなかった、私たちの声展』を開催する写真家・田附勝。謎めいた遺物を捉えたその写真から広がる世界を、気鋭の民俗学者・畑中章宏と語る。

「永遠の少年性を表現した、BRUTUS史上最高の表紙」
BRUTUSの犬特集にも登場する、編集部のアルバイト犬・犬井けんの生みの親でもあるほしよりこさん。あらゆる情報がインスタントに手にはいる今だからこそ感じる、BRUTUSならではの世界との向き合い方の魅力を語ってくれました。

【話題の音楽】好きな女に「いい曲だよ」とソウルのレコードをプレゼントした男。志村けん
志村けんがソウル・ミュージックの愛好者、という話は、いわば基礎知識なんだけれど、つい都市伝説みたいな口調で語ってしまうもののひとつ。
志村がザ・ドリフターズの正式メンバーとして『8時だョ全員集合』に登場したのは1974年の3月。はじめてドリフのレコードに参加したのはそこから2年後、76年3月発売のシングル「ドリフのバイのバイのバイ」。およそヒップとは言えない素材(ここでは大正時代の俗謡)を

新しい作品との出会い方と、翻訳者としての目標も。
フランス語圏の漫画=バンド・デシネと、さらには世界中で描かれているグラフィックノベルの裾野を広げるために。新しい作品を日々探し、日々翻訳する原正人さんの仕事論。