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榮久庵憲司

歴史が堆積して、デザインは肉体となる。|榮久庵憲司

 デザインを人に伝える、それをこの年までずっと本業でやっています。デザインの意味を伝えるには、必ず具体的に仕事をしなければいけない。例えばキッコーマンの卓上醤油ビン。こんな小さなお醤油差し。あれは、1961年に発売されたプロダクトですが、作るのは3年前から始めたんですよ。そうするといまだに変わらず。普通、自動車だったら2、3年で変わる、変えますでしょう? 醤油差しは1961年発売から今まで変わらず

電車は焼け、自動車は壊れ、ガラスは溶けていた。|榮久庵憲司

 5年後に日本に帰って一番困ったのが言葉ですね。へんてこりんな言葉を使ってました。ポリネシア語と英語と日本語が混ざってね。単語はわかるんだけれども、繋がったのがわからない。一番わからないのはツルカメ算でしたね。ハワイには鶴も亀もいないじゃないですか(笑)。もう一つ困ったのが生もの、生臭くて。弁当にタラコが入っているんですよ、食べられなくてね。タラコだとか、ウニとか刺身。今はもちろん食べますけれど、

白人の先生にお尻を叩かれたのを覚えていますよ。|榮久庵憲司

 東京の豊島区生まれですが、小さい時にハワイに行きました。父が海外布教に行ったんです。白人と移民の間にゴタゴタがあった時に調整するとか、日本の移民がハワイに行った時に生活が規則正しくできるかとか。コミュニティをちゃんと作れるようにと。そういうことは宣教師とか開教師とかでなければできない。向こうの白人のボスにも尊敬されなければいけないんですよ。5年くらいいました。ハワイでは白人だけではなく中国人もフ