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宇野亜喜良

亡き後も新刊、続々。安西水丸の色褪せぬ魅力盟友・南伸坊

イラストレーター安西水丸がこの世を去ってから4年が過ぎた。だが、その存在は日に日に大きくなっているように感じる。今年8月には、生前に執筆していたエッセイ『鳥取が好きだ。』が発売。回顧展『イラストレーター 安西水丸』は京都、宮城、愛知を経て、福島を巡回中。3万人以上を動員している。「こんなに愛されるイラストレーターは後にも先にもいないかもしれないね」と語る盟友・南伸坊と安西水丸のイラストレーションの

自分の表現の可能性だけが面白いのかもしれない。|宇野亜喜良

 1960年代は女の子の眉毛をほとんど描かなかったですね。目が持ってる情感で絵が成立するっていうか、リアリズムではなく女性を描こうとしたんでしょうね(笑)。それ以前からそんな女性を描いてましたが、フェリーニの映画なんかを観るとそういうメイクだったりしますよね。眉潰しちゃったりとか。で、実際自分の眉を剃り落としたことがあって。フェリーニっぽく造形的なアクセントではなくて、立体感が日本人でも多少出るか

舞台装置もイラストレーションと同じものだって気がするんです。|宇野亜喜良

 デザインセンターに設立から所属したのですが、そこに同じくいた横尾忠則と原田維夫と3人で共同事務所を作りました。イラストレーションの要素をうまくデザインして、あくまでもデザイナーとしての事務所を作るつもりでいたんですが、だんだん時代がイラストレーションが面白い時代になってきた。横尾忠則が『パンチ』の扉をやったりすると、その雑誌が格好良くなったり、イラストレーターが時代をイメージする、イラストレータ

「君の絵はセンチメンタルだ」って批判されましたね。|宇野亜喜良

 僕は学問が好きじゃなくて、高校でなんか絵を描くところがないかな? って。でも戦後すぐは美術科のある学校が少なくて、工芸学校の図案科にまあ絵描きの親類みたいな仕事だろうと思って行ったんですけどね。デザインの先生が教えてくれるんだけど、クラスの中に2人看板屋の息子がいて。学校の先生は文字やデザインをするときにカラス口で線を引いてその間を埋めて文字を書くんですけど、看板屋の息子はね、ゴシックも明朝も平

浮浪児から盗んだ鯛が、人生初めてのお頭付きでした。|宇野亜喜良

 僕は1934年に生まれて、名古屋の矢場町っていうところで母親が喫茶店をやっていて。父親は今風に言うとインテリアデザイナーで、室内装飾みたいなことをやっていました。父親は一度離婚していて、姉が2人、兄貴が2人いて、それから母親と結婚して僕と妹。あ、母親の方にまた、2人の姉の連れ子がいたりして、寄り合い所帯というんですか。僕は小学校のときに疎開をしまして、そこで6年生で終戦を迎え、12月くらいに名古