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里見浩太朗

役を選ぶよりも、映像に携わることが楽しいんです。|里見浩太朗

 テレビの時代になって『水戸黄門』の助さんや『長七郎江戸日記』、年末時代劇で『忠臣蔵』などを演じてね。映画の製作費が1億、2億なのに、日本テレビは5億、6億かけてくれた。それでね、時代劇の往年の大スターとも共演できた。なかなかできないことなんですよ。僕が50代になった時に、ふと周りを見たらみんな亡くなってしまっていて。僕はいつ大型時代劇の主役になれるか、いついい作品に巡り合えるかと思っていました。

これからはテレビの時代、映画はもう終わりなんだ。|里見浩太朗

 魚河岸で働きながらコロムビアレコードの先生の家に週1回通うことになりました。先生を紹介してくれたお嬢さんに「うちにも寄りなさいよ」と言われてね。その家は3姉妹で、男の僕を家族みたいに可愛がってくれました。ある日、東映から「試験があります」と手紙が届いて。「何これ⁉」と調べたら妹さんが応募していて、「へへっ、洒落 社会勉強 歌も好きだろうけど、顔も悪くないからさ」。それで東映ニューフェイスに

『のど自慢』に出たら、鐘三つが鳴ったんですよ。|里見浩太朗

中学・高校時代も富士宮に住んでいて、中学からはテニスを、高校2年から音楽を始めました。西部劇洋画が入ってきた頃で、日本映画はというと時代劇です。チャンバラには興味がありました。小学校4年生の頃に、疎開先の村の小さな神社でお祭りがあって、お芝居をやっていたんです。森の石松の立ち回りを見て、「チャンバラってかっこいいな〜」って。家に帰ったら寝間着の着物の裾をキュッと固めて、腰に物差しを差して、刀を振

2・26事件の夜に、僕は仕込まれたんですよね(笑)。|里見浩太朗

生まれは東京です。新聞や雑誌には富士宮市と書かれますが、渋谷の道玄坂の病院で生まれたらしく。よちよち歩きのときに、パレスホテル近くのお堀で水鳥を見た記憶があります。親父は近衛連隊の憲兵で早くに戦死しましたが、昭和11(1936)年の2・26事件の時、若手将校に不穏な動きがあると憲兵は察していて、2ヵ月ほど親父は帰ってこなかった。たまたま25日が休みで、久しぶりに帰ってきたんです。それで夫婦の営みが