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松浦弥太郎

いつもポケットにある僕の言葉。|松浦弥太郎

「人は誰しも」

人は誰しも
自分を助けてくれることを探している

人は誰しも
自分を助けてくれるちからを求めている

人は誰しも
自分を助けてくれる美しさに感動する

人は誰しも
自分を助けてくれる価値に代償を払う

人は誰しも
自分を助けてくれるものを選んでいる

人は誰しも
自分を助けてくれる姿に涙する

人は誰しも
自分を助けてくれる人を愛している

人は誰しも
助けを待っている
いつも

着るほどに育む布、ホームスパンを訪ねて。

 松浦弥太郎さんには憧れの服があった。志賀直哉、武者小路実篤といった白樺派のメンバーや濱田庄司、河井寛次郎など民藝運動の先人がこぞって愛した「ホームスパン」である。ホームスパンはスコットランドを発祥とする毛織物の一種で、ホーム(自宅)でスパン(糸を紡ぐ)することからその名がついた、ツイードの一種である。明治の初め頃に日本に伝わり、コートやジャケットなど主に外套用の高級素材として北海道や東北など寒冷

「新しい一流」とは何か。そこから学ぶことは何か。|松浦弥太郎

「一流」への最初の一歩はやせがまんである。もしくは背伸びとも言えるだろう。一流の生き方とはそういう覚悟だ。暑かろうと寒かろうと、お腹が空こうと、疲れようと、眠かろうと、平気で涼しい顔をするやせがまん。予想以上の出費があろうと、アクシデントがあろうと、慌てず文句を言わずに対応するやせがまん。欲しいものは後先考えずに無理してでも買うやせがまん。特に女性の前では、何があろうと弱音を吐かない男の愚かなやせ

僕は一流の歯車となって仕事がしたい。|松浦弥太郎

 四十歳の時、『暮しの手帖』の編集長に就いた。あっという間に八年が経った。八年の間に何をしてきたのかと訊かれると答えに詰まる。こうしたい、ああしたいはあるにはあるが、それができたかというとむつかしい。ひとつ言うならば、日々初心に帰って、その日の自分のすべてを精一杯出し切って仕事をしてきた。
 規則正しい生活をし、健康を心がけ、お金が喜ぶお金の使い方を考え、よく働き、よく食べ、よく笑い、よく学び、よ

そろそろ一流の暮らしやセンスを身につけようと思うんだ。|松浦弥太郎

 あの頃、僕にとっての「一流」とは「本物」だった。生まれてはじめて本物を手にしたのは、小学五年の時だ。中野区に暮らしていた僕は、若宮リトルリーグに入団し、硬式野球に励んだ。入団に際して、僕は硬式用グローブを母にねだった。神保町の〈美津濃スポーツ〉を訪れ、プロ野球選手用の「ワールドウィン」を選んだ。モデルは内野手用で、巨人軍の土井正三が使っているのと同じだった。頑として他のモデルに目もくれない僕を見

シティライツとの出会い。僕は一流をずっと探していた。|松浦弥太郎

 そうだ僕は消防士になりたかったんだ。
 サンフランシスコ空港からバスに乗って、街に向かう途中、けたたましくクラクションを鳴らした消防車が、ものすごいスピードでバスを追い抜いていった。その瞬間、僕はまるで子どものように窓に顔をくっつけて消防車を見た。一人の消防士が何か大声で叫んでいた。「急いでいるんだ。どきやがれ」。そう言っているように見えた。彼の隣にいたもう一人はダルメシアン犬を抱いて、前を真っ

僕はこんな旅をしたり、恋をしてきた。|松浦弥太郎

 ポケットに突っこんだ手を出して歩こうと思う。旅は終わったんだ。
 仕事をしはじめたのは、高校を中退した満で十八歳、それから幾年月を経てもはや三十年になる。これまで一途に続けたと胸を張れる仕事はひとつもなく、職歴を書こうにも忘れてしまうくらいに様々で、その間自分なりにいろいろなことがあった。嬉しいことも悲しいこともあり過ぎる程である。とはいえ、センスがよく、愛情豊かで、生きる術に優れた人たちがいつ