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慶應義塾大学

曜変で何を飲んでいた? 謎めく宋の茶文化に迫る。

「黒釉の建盞をここまで流行らせたのは、宋における喫茶のニューウェーブ“闘茶”ですね」。そう教えてくれたのは、前出の陶芸家、孫建興さん。宋代に建窯が隆盛した背景にも、茶そのものの流行り廃りがあったようだ。
 
建州の茶や建盞が文献に現れるのは書家・蔡襄の『茶録』(1064年)。「茶の色が白いので黒い茶盞がいい。建安で作られる茶盞は兎の毫のような紺と黒の紋がある」と書かれている。宋の茶は、抹茶の粉を茶

曜変の「黒」だけに潜む 特別なヒミツとは?

翌日は、曜変にまつわる現代中国陶磁界のキーパーソンに会う。1人目は陶芸家の孫建興さん。国家級非物質文化遺産、日本でいう人間国宝だ。山水画を背景にしたような南平市の工房で、40年にわたって建盞を研究し、曜変や油滴の復刻に挑んでいる。

月に1度、約1000点ずつ窯入れする登り窯は、4つの焼成室を持つ連房式。建盞はすべてこの窯で焼くそうで、周りには、赤黒い釉石と馬尾松の薪が山のように積まれている。土は

建窯の「モノハラ」に 隠された曜変の真実とは。

「自分の足の下に、まだ見ぬ曜変天目が埋もれているかも。そう妄想するだけでもロマンがありますね」
 
曜変天目をめぐる謎を追いかけてこの美しい茶碗が生まれた中国にやってきた茶人・千宗屋。目指すは曜変天目が焼かれた地、福建省建陽区だ。蓬萊仙境が広がる世界遺産・武夷山があり、翡翠色の九曲渓が流れ、岩場の茶畑や苔むした洞窟が点在する、ここはまさに桃源郷。でもそんな絶景より何より、800年前に曜変天目を焼い

繊維の未来は「構造タンパク質」にある!

 世界中で流通する衣服の6〜7割はポリエステルを中心とした合繊衣料といわれている。合繊のほとんどは石油を原料としていて、製造工程で膨大なエネルギーを消費し、温室効果ガスを排出する。左ページのプリマロフトⓇのように技術は日進月歩で進んでいるが、基本的に合繊は天然素材のように生分解されない。また、原料となる石油の枯渇も懸念されている。そんな状況下で、彗星のように現れたのが、地球上に豊富に存在する「タン

近代北海道の歴史はここから始まった。

北海道大学、通称「北大」の前身、札幌農学校が開校したのは1876(明治9)年のこと。旧東京大学よりも1年早い開校だった。箱館戦争が終結したのが1869(明治2)年だから、明治新政府がいかに重視し、その設置を急いだのかがわかる。当時、蝦夷地改め北海道にはロシア南下の脅威があった。ぼーっとしている余裕はない。北海道開拓は新政府の重要課題の一つだった。
 
それにしても、新しい国づくりの根幹に農業(酪農

身だしなみの道具。|デーヴィッド・マークス

 グルーミングをするのは、毎朝のシャワーのときです。でも髭を剃るのは1週間に1度だけ。シェーバーは、友達にもらった〈ジレット〉のヴィンテージ。それに〈フェザー〉の両刃を入れて使っています。シェービングソープは〈D.R.ハリス〉のものを母親が作ってくれたボウルに入れ、〈バクスター〉のブラシで泡立てて剃っています。最近わかったのは、剃った次の日の僕が一番カッコいいってこと。なんかシャープに見えるんです

モクチン企画 連 勇太朗/川瀬英嗣

「モクチン」とは都内に30万戸あるといわれる木造賃貸アパートのこと。それらを貴重な社会資源として活用しようと、学生だった連たちが行ったワークショップから始まった。現在ではウェブで改修アイデアを「レシピ」として公開、主に地元密着型の不動産仲介業者や工務店、アパートのオーナーに有料会員になってもらい、図面や仕様などの詳細情報にアクセスできる仕組みになっている。「自分たちのアイデアやデザインをオープンに

食事も、欲しいものも、自分で選ぶ。好きにさせてもらえる環境があった。|古市憲寿

 大学進学と同時に鹿児島から上京して公務員になった父と、自由気ままで個人主義の母。小学生で東京から埼玉に越し、いわゆる昭和の家庭で育った僕には、2人の妹がいます。両親は小さな妹たちに手一杯だったんでしょう。子どもの頃は祖父といる時間の方が長かったですね。
 育った環境のせいか、兄妹3人には似たところがありません。家族仲が悪かったわけではなく、各人がバラバラに生活しているような家でした。7人家族なの