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東海林さだお

ネタ帳は、稲作でいうと苗床みたいなものなんです。|東海林さだお

 今は漫画と劇画が一緒になってるけど、僕の場合は漫画です、純粋な。だから漫画と文章ですね。文章の方は、昔は漫画家にルポをやらせることが結構あったんです。絵も描けるし。最初はそんなことで依頼があって増えていった。お肉屋さんのコロッケみたいなものです、おまけ(笑)。『漫画読本』で連載が始まり、それが『オール讀物』に移って、50年以上。始まると終わらない、全部2000回とかね。最初に僕を担当した編集さん

大変な時期がないと、ちゃんとした漫画家になれないんですよね。|東海林さだお

 4年、5年の間は月に1回、編集部に漫画を持ち込んでいました。いろんな傾向の漫画を描いて、最終的にサトウサンペイさんのようなサラリーマン漫画に落ち着いたんです。でもね、何しろ締め切りがないでしょ。「今日できないから明日でいいや」と、どんどん先延ばしにしちゃって。『週刊漫画TIMES』で連載デビューが決まってからは猛烈な勢いになって、寝る暇もないぐらい。『新漫画文学全集』というのが人気になったんです

漫画を持っていっても、4、5年は採用されませんでした。|東海林さだお

 中学2年の終わり頃に栃木から八王子に戻って。高校は進学校でした。隣に一橋大学があって、一橋を受ける人が多かった。僕も勉強に励んだけど成績が良くなくてね(笑)。真面目な高校で喫茶店に入ったことがない生徒がほとんどでした。部活をやると大学に受からないと(笑)。なので、部活はなしです。でも授業中に先生の似顔絵を描いて、みんなに回したりしていました。手塚治虫さんがデビューした時代で、みんな影響されてプロ

ゴム鉄砲もけん玉も、おもちゃはだいたい手作りでした。|東海林さだお

 生まれは東京の杉並です。小学校2年から中学2年までは栃木県に疎開していました。だから思春期のほとんどが田舎、それもイノシシが出るようなところ。東京者というより地方出身者みたいな意識が強いですね。父親はコニカの前身の会社で働いて、途中退社して酒屋に。母親は栃木県出身の主婦でした。子供の頃は何しろ田舎なので、上草履を履いて学校に通っていました。おもちゃもなくて、ゴム鉄砲って知ってます? スズメを獲っ