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東京藝術大学

アート・ミステリー、 極上の外道はこの一冊。

 自分の生まれた1年後の1950年、終戦直後の混乱と高揚のなかで刊行されていた橘外男の『青白き裸女群像』(京橋の名曲堂の刊行、定価百五十圓)を、散歩ついでに立ち寄った古本屋でようやく手に入れることができた。フランスの人里離れた城塞地下に、美青年の甘言によって拉致された金髪の美少女たちが、腐乱する異様な肉体の画家に裸体モデルを強要され、最後には……、いかにも外男の名に恥じぬ外道なお話である。その外道

ウォレス・バーマン 逮捕(前回の続き)。

 アメリカの1950年代、60年代にロサンゼルス、サンフランシスコと西海岸で活動し、事典的にいえばビートからポップ、ジャズからロックへの移行期を鋭く厳密な姿勢で生きた(プロのギャンブラーでもある)アーティスト、ウォレス・バーマンは、しかし、生涯1回しか商業ギャラリーでの個展をやっていない。そのわずか1回の個展(1957年)もオープニングの日に、わいせつ物陳列容疑でバーマンは逮捕、拘留されたため、関

【話題のアート】アーティスト片山真理、「歪められた美しさ」の発見。

 インターネットで「片山真理」と検索すると「両足義足のアーティスト」という言葉が、数多く目に飛び込んでくる。実際、彼女は先天的な足の病気を持って生まれ、9歳のときに両足を切断し、現在は義足で生活しながら、作品を発表し続けている。彼女の代表作は、自分自身や装飾された義足などが登場する写真と、縫い上げられた自作のオブジェやソファ、そして衣服などを組み合わせたインスタレーションであるため、「身体的ハンデ

ビートからポップ・アート、W・バーマン再発見。

 この連載コラムの前担当者M(現『ポパイ』編集長)のメールでの質問が、おおげさでなくウイルス禍で引きこもった一老人の孤独な環境に劇的な知的刺激をもたらすことになった。これまで数十年かけて集め、わが家で散乱状態にある情報をすべて適所に配置可能にする人物との遭遇であった。Mのメールはこうである。

「まだ息してます? よかった。ところで、ウォレス・バーマンって知ってます?」

「だれだよ? ……まてよ

堀内誠一さんのタイトル・デザイン。

 大衆娯楽誌のタイトル・デザインにあって、衝撃だったのは、ファッション誌・ananの登場だった。こちらがまだ大学在学中のときのことである。寮のあった上石神井から駅にむかう道の途中の若夫婦経営のちいさな書店の店先で、みたことのないサイズの表紙に洋雑誌かな、と思ったほどだ。

 手に取るとレイアウトもきわめて大胆。モデルもいわゆる美形ではなく、癖のある崩し系。しかし、衝撃の最大のものはなんといっても、

寺山修司×和田誠の 『血と麦』。

 中学時代買った本で、今も手元にあるのはわずかだ。その一冊は、数年前、本誌「危険な読書」特集で紹介した江戸川乱歩の『犯罪図鑑』だった。次に愛着が深いのが、寺山修司の歌集『血と麦』となる。購入のきっかけは、中学の教師の机の上にあった短歌雑誌を見ていて、広告ページでみつけたものである。ただただ『血と麦』という表題の不穏が田舎の中学生の胸を刺し、中身はわからなかったが賭けにでた。
 当時、函入り単行本は

石切丸――木積康弘┃多くの人から寄せられた心に守られた、謎多き神刀。

赤や黄に色づいた木々の葉越しにこぼれる光を反射して、木積康弘宮司の手の中で、《太刀 銘 有成(号 石切丸)》の刃が輝く。

「どなたかによって使われたこともあったでしょうし、研ぎ直すこともあったでしょう。いろいろな方々がこの刀を心にかけ、携わってくださったおかげで、1000年を経てもこうして目の前にある。そう思うと、実際の重量以上に重く感じます。畏怖、恐怖に似た感覚もあります。刀を“使う”と言うな

ナチ弾圧下における、 〝退廃芸術〟作家たち。

 クラウディオ・ポリ監督の『ヒトラーvs.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』は、稀にみる知的緊迫にみちたドキュメンタリーだった。これまでどのようなモノ(造本ほか)かが確認できなかったマックス・ノルダウの『エンタールトゥング(退廃)』が登場したことがなによりも価値がある。

〈退廃〉は、ナチが(当時の)現代美術全般に投げつけた罵倒語であるが、その震源の最大のものは、1890年に刊行されたノルダウのこの書