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とおくの女たち

いつだったか私の女になり、2016年には昔の女になり、2017年には誰かの女になり、2018年には誰かの妻になり、2019年は誰かのお母さんになっている。ただ淡々と、そんな風に過ぎていくことが骨身にしみるようになってきたなら、あらゆる責任から離れて生きるこの暮らしも少しずつくたびれてきているということなので、私は針と糸でつくろうのだが、いっこうに縫い閉じることができないでいる隙間風。

神戸のアトリエ

二階の部屋に置かれた
わずか五枚の絵のせいで
部屋の床はたわみ
底が抜けてしまいそうだった
試しに一枚を持ってみると軽いのだが
眺めていると いやに重ったるい

五枚のキャンバスに
閉じ込められているのは
同じ男の顔だった
南米、パリ、ローマ
スペインのラマンチャ
諸国を旅して 探して 見つけたのも
同じ男の顔だった

その後も男は自画像を描き続け
パレットの裏にひとこと書き残して
酒に酔った車の

人はいつフィリピン料理を食べるのか?

祝日の夜の西荻のとある商店街は、日本海側の町のシャッター街かと思うほど閑散としているうえ、寒風が吹きすさんでおり、土地勘というものに絶望的に見放されている私は、こんな場所にフィリピン料理屋があるのかと心細かったが、その細さが極細になるほど歩いた先に「ATE」はポツンとあった。

今回、社長とママと私は、フィリピン料理をくらうのである。食らうと決めてからふと思ったのだが、人はどんなときに「さあ、フィ

ナイロビのコーヒー

高校時代、親元を離れて寮生活を送っていた。寮生の出身地は様々で、国内だと北は北海道、南は沖縄まで。親の仕事の都合で海外で育ち、ひとりで日本に戻り寮生活を送っている生徒も少なくなかった。そういった寮生たちのほとんどは、やってきた都市の名があだ名になっていて、ジャカルタ、ナイロビ、ロンドン、上海など、これらは全てクラスメートのあだ名だ。夏休みが終わると、それぞれに地元のお土産を配ったりする。隣の部屋の

セオリーと思い込みを捨てよ、町へ出よう。食事に寄り添うコーヒーを選ぶ旅へ。

コーヒーと恋愛が共にあればいい。そう歌ったのはサニーデイ・サービスの曽我部恵一だが、たしかにコーヒーは何かと共にあるほうが嬉しい。

でもそれなのに、「サードウェイヴ」という言葉が世の中に蔓延すると、それまで以上にコーヒーは単体の味として追求されるようになった。もちろんコーヒーがどんどん美味しくなっていくのは喜ばしいことである。とはいえ、例えばランチタイムのサービスに付いてくる「食後のコーヒー」が

リズムにも乗せやすい江戸文芸の「非意味」な響き。

レッツダンス
点々 つけてくレディ
線々 繋げるオレ
ふたりだけの星座図さ
転々 恋の起承転
てんてこ舞いのエビデー
きっと今夜も・・・(テンテテン)クラクラ

転々としてるベイベー
惚れ惚れしちゃうぜ オレ
でもそろそろ落ち着きな
転々 恋の起承転
誰々 それ何度目?
終着点は・・・(テンテテン)有耶無耶
見つめ合えば・・・(テンテテン)困るなぁ


「今夜もテンテテン」
作詞/児玉雨子
作曲・