キーワード

ソ連

我々は日本という国に、棄てられたんです。| なかにし礼

終戦は紛れ込んで逃げた軍用列車の中。6歳の終わりの頃でした。そこで我々と関東軍の中国人兵士たちとの立場が逆転するわけです。今、天皇陛下がポツダム宣言を受諾して日本は負けたと。軍用列車には日本の軍人がたくさん乗っていましたが、彼らは武装解除されて連れていかれてしまった。我々もすべての荷物を取られてね。僕は子供でしたから、悔しいも悲しいもなかった。神風が吹くとも、日本が勝つとも思っていなかったので、特

小国・ジョージアのワインに、いま世界が注目している理由とは?

 ジョージアは、北には雄大なコーカサス山脈、東には黒海沿岸のリゾートの町も控えた自然豊かな小国である。旧ソ連時代の文豪たちには、この国の国民は“アジア人”と呼ばれている。それほどシルクロードの西の端に当たる多文化が融合したエキゾティックな地だったのだ。

 そのジョージアに、今、世界のワイン通が熱い視線を注いでいる。それは2016年、ごく最近の発掘から、世界で最も古い新石器時代初頭のワイン造りの痕

冷戦を越えて。

1989(平成元)年にベルリンの壁が崩壊し、91年にはソビエト連邦が消滅した。このような世界情勢の変動もさまざまな形でアニメに影響を与えている。
 
例えば冷戦後の国際情勢の変化の中、日本も新たに積極的な国際協力を求められるようになり、92年にはPKOの一環として自衛隊のカンボジア派遣が行われた。こうした情勢を反映したのが『機動警察パトレイバー2 the Movie』である。本作は、東南アジア某国

TEMPELHOFER FELD

 長さ1・2㎞とヨーロッパ最大の建築物といわれるテンペルホーフ空港は1941年、ナチス時代に改修された。戦後、冷戦下の48年に、ソ連軍が鉄道と陸路を封鎖するベルリン封鎖があり、この空港には当時、米軍が食料や物資を西ベルリン市民のために1年間、空輸した歴史がある。東西統一後2008年には空港としての役割は終了した。
 20世紀の激動の歴史の舞台となったこの空港跡地は10年5月、滑走路周りの敷地すべて

島田雅彦

「人間は主として2種類に分けられます。効率的にお金を稼ぐ人と“新しいお金”を作ってしまう人。前者はビジネスマンと呼ばれ、後者はアーティストと呼ばれますが、私の父はお金を稼ぐのがへたで、自分もそうになるに決まっていると幼い頃から思ってきました。というわけで、貨幣経済とグレた付き合い方をすべくアーティストになったわけです」
 そう語るのは、小説家の島田雅彦さんだ。実際、2010年に刊行された著書『悪貨

塚本晋也

映画『鉄男』『バレット・バレエ』『野火』。都市や人間の暴力性を多分にはらんだ映画を数多く撮ってきた塚本晋也監督。しかしその強面なイメージとは裏腹に「唯一観ることができないジャンルの戦場映画」があるらしい。もともと「映画は勉強のために観たことはなく、ただ興味の赴くまま観るだけ」というタイプ。そのため、まだ観てない名作は少なからずあるようだが、その中でも「どうしても観ることができない戦場映画」とは、い

テーマ〈続々々・アメリカ〉

宮沢 「古き良きアメリカ」って言うけどさ、200年ちょっとだからね。中国のことを考えたら、ついこの間のことだよ。4000年だから、中国は。
やつい 紀元前からありますから。
宮沢 アメリカも、先住民の歴史だったらわかるけど。
やつい 昨年、台湾に行ったんですけど、台湾も少数民族がいっぱいいるんですよね。なんなら日本だってそうですし。
宮沢 琉球ね。地理的に見たら日本よりも台湾の方がはるかに近い。泳

海外ドラマを観るべき4つの理由。|談・町山智浩

今のアメリカのエンタメ界では、ドラマ出身のJ・J・エイブラムスなどが映画で活躍し、映画畑のスティーヴン・ソダーバーグ監督やマシュー・マコノヒーらがドラマに参入するといった地殻変動が起きています。ハリウッドで勝負するには組織作りが必須。でもドラマ界では、面白いストーリーが一本書ければいきなりトップが取れる。だから、経験値が浅いにもかかわらず、ヒットドラマを創る若手クリエイターも多く登場してきている。

ジャン・バルジャンかと思ったら俺の兄貴だったんだ。|宝田 明

 昭和22(1947)年に、ハルビン最後の引き揚げ団数百名としてやっと帰国というときに、僕のすぐ上の兄がソ連の強制使役へ行ったまま、ある日帰ってこなかった。周りの人たちに聞いても「帰ったんじゃないの?」って。それが1週間経ち、10日経ち、半年経ち、どこへ行ったかわからない。短冊みたいなものに「宝田まさお、我々は故郷に帰っているよ。新潟の村上だよ」と書いて、止まった駅でババッと貼って引き揚げた。道中

ソ連がどーんと満州に攻めてきて、明日の飯もなくなった。|宝田 明

 僕はね、父が朝鮮鉄道の技師だったので北朝鮮の清津で生を受けて、その後、満鉄に転勤となり満州で生活をしていました。昔は満鉄って言ったら国策会社として、肩で風を切るという感じでしたよ。色々なところを点々として終戦時は大都会ハルビンで、在満の小学校に通っていました。穀物も食料も満州は豊かだし、5つの大民族が相携えて、五族協和っていう四文字熟語が当時ありましてね。満鉄の社宅のすぐそばには中国人がたくさん