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新潟

“イタめし”ブームの立役者、 現役ベテランシェフ、大いに語る。

イタめしブームのはしりは、1985年にオープンしたニューヨークスタイルの劇場型店舗〈バスタ・パスタ〉だった。シェフを務めたのは山田宏巳。華やかで軽やか。堅苦しいマナー不要の、まさに新時代の幕開けだった。
 
あれからン十年。日本のイタリア料理は激しく多様化が進んでいる。今も現役であり続ける、歴史の証人3人が怪気炎を上げる。

色や香り、音で驚きと楽しさを! 革新の料理で銀座から世界を目指す。

イタリアの名だたるリストランテで修業を重ねたのち、コペンハーゲンの〈ノーマ〉へ。そこで、フードロスやサステイナビリティへの取り組みにも感化され、強い思いを抱くようになったという能田耕太郎さん。紆余曲折を経て自身の方向性を見出し、シェフに就任したローマ〈ビストロ64〉での活躍ぶりは海を渡り、日本にも届いてきた。
「今の時代、世界を目指すならば、チャレンジし続けなければならない」と、東京銀座資生堂ビル

もっと自由で、クリエイティブに。 枠組みを超えた日本のイタリアンを。

日本人の自分がイタリアンを表現したらどうなるのか。自分に課題を課すように挑戦を続ける、徳吉洋二さん。例えば、定番の「カルボナーラ」なら、なぜ卵とチーズなのか。その土地の地理、歴史、食材、人々を突き詰め、伝統そのものを理解し、必然性を納得したうえで料理する。色や形、体験から作りたい料理を発想し、食材を探して当てはめるというアプローチも、徳吉流のスタイルだ。

午後三時。宙ぶらりんの時間に呑む、大人のおやつ。| 文・井川直子

人が息をつけるところは、いつだって余白にある。大事なことは無駄の中に隠れている。だから、おやつ呑みのススメ。ランチとかディナーとかハッピーアワーとかの目的なんかない午後三時、宙ぶらりんの時間に呑むお酒である。
 
こういうときの私は、目的だけが人生だと思うなよ、と誰に言いたいのか、少しばかりパンクな気分で酒場に向かう。それは、横書きのノートに罫線無視の斜め書きしてやった! くらいの小っちゃ過ぎる反

チキンハウス | 吉田研介

「この家は、きちんと片づいている景色がいちばんいい。こうして椅子に座って眺めるとなおさらいい」「15年前、コルビュジエの〈母の家〉を見に行ったのだけれど、私の家の方が断然いいなと、心からそう思ったんですよね」
 
次から次へと、衒いのない言葉があふれ出す。吉田研介の自邸は、モダン住宅全盛の1975年、若手として頭角を現し始めていた吉田が37歳で建てた木造住宅だ。チキンハウスの意味は「拙宅」。欧米で

白山前駅〈ベルっこ〉の 「ジャンボミート」

30年ほど前、親父の転勤の関係で、13〜18歳の思春期の6年間、新潟に住んだ。今は廃線になってしまったが、当時、新潟には、緑のボディにオレンジの太いライン(昔の高崎線のようなデザイン)の路面電車が走っていた。街中を走るさま、とても趣深かったなぁ(思い出でそう感じるだけで、その頃は、のんびり走る路面電車の魅力に気づく心は持ち合わせていなかったけど)。レンガ造りの小さな東京駅のような見た目の始発駅〈白

グアテマラ・ モンテネグロ

〈丸山珈琲〉のヘッドロースターとして数々のバリスタチャンピオンの焙煎を手がけた店主の中村一輝さんが、2014年に独立して開いた店。焙煎には、熱の伝わり方が柔らかいプロバット社の5㎏釜を使用、生豆にストレスを与えず火を入れることで、風味や質感を引き出している。「この銘柄はチョコレート、キャラメル、バニラなど多彩な表情と、リッチな甘味とコクが特徴です。中村さんは、生産者との信頼関係も厚く、その歴史から

次世代バリスタ&ベイカーのコーヒーショップが新潟に登場。

「オープン前から地元の注目の的だった」。町を歩くとそんな声がたくさん聞こえてきた。〈dAbCOFFEE STORE〉店主の小林大地さんは東京・代々木公園にある〈Little Nap COFFEE STAND〉に4年間勤め、地元・新潟に帰郷し独立。パートナーの海渕玲子さんは焼き菓子担当で、東京・西原の〈PADDLERS COFFEE〉に勤めていた看板娘。2人は共に、東京のサードウェーブコーヒーを牽引

新潟〈浜茶屋〉の 「カツ丼(タレカツ丼)」

中学入学の時に、親父の転勤で新潟に引っ越した。雪深い田舎で田んぼしかない、というようなイメージで引っ越したが、新潟市内は全くそんなことはなかった。冬は雪は降るが、イメージほどではない。すごい都会かといえば否だが、ちゃんと程良く都会。自転車を少しこげば綺麗な海があり、夏は楽園。潜水し、テトラポッドから飛び込み、キスを釣り……。真っ黒に焼けるまで遊び、〈浜茶屋(=海の家)〉で食べる食事は最高のご馳走。