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花椿

オリジナリティから生まれるウィメンズファッションの可能性。

 2015年春夏のサカイはこれまでになく高揚感があった。ミリタリーとフラワープリント。そこにはニット、レース、布帛といった素材が縦横に使われ、複雑な構造となっている。このところのサカイの影響力は「世界へ向けて」という言葉がぴったりとくる。パリコレのショーはパワフルだし、ニットから発想した複雑なドレスはストリートにまで影響を与えている。デザイナーの阿部千登勢の活躍は昨年7月号の『アメリカン・ヴォーグ

完璧にしすぎないっていう主義があるもんですから。|仲條正義

1968年からだとすると46年前に『花椿』の仕事を始めたことになります。エディトリアルのアイデアは一貫していたというか、時代の反映だと思ってましたが、写真が変わればガラッと変わりますからね。当時は新しいフォトグラファーが大体向こうから来る、降ってくるみたいな感じで見つかるんですから、こんなに楽な仕事はないですよ(笑)。宣伝部から「ああしろ、こうしろ」
とも言われなかったですしね。初期は言われました

フリーになってからは、その日暮らしをしていましたね。|仲條正義

独立してからは、親父とお袋がいる池袋の家で2、3年やってました。僕のところに来る仕事は、遊び友達みたいなやつが「これやってくれよ」っていうような仕事で、鳴かず飛ばず、まあ飛ばず飛ばずだな(笑)。その日暮らしをしてました。福田繁雄と江島任という友人と、丸善にあったギャラリーでちょいと展覧会やろうよって話になったことがありまして。夏場に日宣美の展覧会が髙島屋の大きなホールでやるっていうんでそれにぶつけ

給料が入ったら、ほとんど飲んじゃってましたね。|仲條正義

卒業するときに僕はのんきなこと考えてて、エラい先輩がいたり、厳しい会社に行くのやだなって思って。だから基本的に怒られてた、「君、何考えてんだ」って(笑)。それで少しは修業しなきゃ駄目だって先輩のいる資生堂に行きなさいと。でも資生堂は給料9000円だったんですよ。安い方だった。味の素が1万3000円近くていいなと思ってたんですが(笑)。資生堂に入ったら大変でした。朝は8時半に行かなきゃなんないし、

私たちの勝手なるマイルール。

デニムスーツの場合、すべてのパーツ(ジャケット、ベスト、パンツ)の色落ち具合を統一するために、同時に洗うようにしています。洗濯機、乾燥機はコインランドリーを使用。洗濯は2〜3回(洗剤抜きでね)、脱水が終わったらジャケット、ベストは濡れたままで着用して、自分の型をつける。そして乾燥機で10分(ガスの乾燥機だよ!)。生乾きの状態でもう一度着て、腕あたりのシワ感を確認してハンガーで自然乾燥。パンツは同じ

あんなに憧れた学校なのにうまいなって思うヤツはいなかった。|仲條正義

長い話ですよ(笑)。私はね、新宿区になりましたが昔の淀橋区、鳴子坂下で生まれましてね。昭和8(1933)年生まれです。親父は千葉の農家の二男坊で、「手に職を」ってので深川で大工の修業して、当時の東京の再開発でこのへんに来れば仕事もあるだろうっていうことでそこに一家を構えたわけです。戦争が始まって集団疎開があって、それで親父の里である千葉の飯岡ってとこに疎開しましてね。1年も経たないくらいに東京大空

ファッション展。でも、マネキンは不在です。

 ミランダ・ジュライによる映像作品や、スーザン・チャンチオロによるドローイング、ホンマタカシの写真、COSMIC WONDERのパフォーマンス、インスタレーション……。これらは、2月22日より水戸芸術館現代美術ギャラリーにて開催される展覧会のラインナップである。一見、散漫にも見える、多種多様な表現方法を用いた作品たちはすべて「拡張するファッション」の一部。『花椿』の編集や『here and the