
ジャズピアニスト・丈青が惹かれたフィメールラッパー・Awich
傑作アルバム『孔雀』をリリースしたラッパー・Awichと、SOIL &“PIMP”SESSIONSのピアニスト・丈青。AwichがSOILの「Heaven on Earth」に参加してから、2人はライブや作品で共演を重ねてきた。そんな両者の対談、冒頭から知られざる話が……。
傑作アルバム『孔雀』をリリースしたラッパー・Awichと、SOIL &“PIMP”SESSIONSのピアニスト・丈青。AwichがSOILの「Heaven on Earth」に参加してから、2人はライブや作品で共演を重ねてきた。そんな両者の対談、冒頭から知られざる話が……。
山林、砂漠、海上などで身を潜めるために開発されたカモフラージュ柄も、フィールドを街へ移すと人目を引くグラフィック。ちょっとした違いも細分化したらパターンは100種以上。調べると奥深いカモ柄、その一部を紹介します。
トップスとボトムスが一体化した服全般を指すカバーオール。危険から体を守ることを目的としたお馴染みの作業着は、ファッションにおいても優秀だ。一着で主役級の存在感があり着こなしの幅も広い。自分ならどう着る?
ファッションブランドがデザインのモチーフにするなど、なにかと目にするミリタリーシューズだが、京都のヴィンテージショップ〈カプリ〉のオーナー田中聡介さんが所有するものは一味も二味も違う。一回のバイイングで約40日の時間をかけアメリカ、ヨーロッパを巡り、それを18年続けていても、めったにお目にかかれないレアものばかり。世界的コレクターに直談判して入手したりするというから、そのラインナップがいかにすごい
江戸の五街道の一つ、中山道の江戸から1番目の「板橋宿」(現在の板橋区仲宿周辺)は、旅人たちで大きな賑わいを見せた宿場町。現在の大山駅から西へ延びる「ハッピーロード」はその中山道から分岐した(旧)川越街道に沿って自然発生的に生まれ、第二次大戦後に発展した商店街。周辺には富士山へ通じる富士街道、鎌倉へ通じる鎌倉街道なども交差しており、まさしくジャンクションとして人々が行き交ったエリアだった。
戦死した兄の影響は大きいです。昭和18(1943)年の6月ですが、出征前に3日間泥まみれになって防空壕を掘ってくれて。その間中、口笛を吹いていて、メロディを覚えちゃったんです。父が突然亡くなり、兄も戦死。私と母は米沢に疎開して、終戦後目黒の焼け残った家に帰りました。私は体が弱くてよく熱を出していました。本が好きで熱が下がってくると少女小説とかハイネとかリルケの詩集を読むので、母に「ぶり返すから駄目
コンボという喫茶店では、鼓膜が破れるような音量で音楽がかかっていました。お客さんはほとんど黒人の兵隊さん。「これが今、NYで盛んに台頭してきているジャズなんだ」って。即興演奏で譜面なんかない、黒人が自分のアイデンティティとして自己主張する音楽だと言われて。みんな目をつむりながら会話もなく聴いているんです。衝撃的でした。その中に早稲田の学生だった大橋巨泉さんや、まだ無名の渡辺貞夫さんとかがいらして、
日米安保条約改定やベトナム戦争激化のさなか。1970年、学生運動に没頭する若者たちが創業したのが〈模索舎〉だ。ゆえに社会主義やアナーキズムなどの政治・思想系の書物が棚を埋め、加えてサブカルチャー本や漫画、ミニコミやZINEも豊富に取り揃う。
共同運営者の榎本智至さんの2018年の一冊『[新版]黙って野たれ死ぬな』は1975年、29歳で焼身決起した船本洲治の遺稿集だ。「東京・山谷や大阪・釜ヶ崎で日
きっかけは、一本の沖縄産ホラー映画。2014年に公開された『ハイサイゾンビ』に製作者として関わった宮島真一さんは、せっかく作ったのになかなか観る機会がないことに気づいた。「最初はカフェなどで上映会をやっていたんですけど、これがなかなか好評だったんです。じゃあそれなら映画館自体を作っちゃえ! ってことになりました」。沖縄市の中心部にあたるコザは、那覇から北東へ向かっておよそ20㎞。一時期は駐留米軍
1968年からディスコへ通い始め、ソウルミュージックに魅了されました。当時お店でかかっていたのはジェイムス・ブラウンや〈モータウン・レコード〉など、日本でも発売されていた曲が中心。思えば、大した知識なんかなかったんです。73年にイラストレーターやデザイナーたちと、40日間かけてアメリカ各地を旅行した時のこと。みんながすぐにNYへ向かう中、僕と湯村輝彦さんと数人だけ、西海岸に残り、LAやサンフランシ