キーワード

江戸

尾崎人形

佐賀県神埼市の尾崎西分地区に伝わる土人形「尾崎人形」は、約40種ある作品の多くが人形笛という、少し変わった玩具です。なんとルーツは、あの元寇でやってきた蒙古軍の笛にあるのだとか。伝承によると、弘安4(1281)年の蒙古襲来の際にやってきた蒙古軍兵士が、尾崎地区に落ちのびて、捕虜のようなかたちで暮らしていた際、手すさびで人形笛を作って吹き鳴らし、故郷を懐かしんでいたのだとか。その技術が次第に広まり、

盛って描くかリアルを残すか、 男たちの顔面決戦。

平安時代、礼拝や尊崇の対象として描かれたのが貴人や高僧の肖像画。やがて写実的な墨描きポートレート「似せ絵」を経て、中世には天皇や武士など権力者の肖像が描かれ始めた。
 時の大物の絵とあらば、求められたのはリアルな姿より、本人や発注者にとっての理想像だろう。抑えた表現で気品と威厳を描き出した《伝源頼朝像》はいかにも人格者に見える。《鷹見泉石像》は、蘭学の弟子(渡辺崋山)が師匠(泉石)を描いたものだか

モノクローム好き。

日本の近代絵画は西洋からの刺激で発展したが、それ以前の絵に影響を及ぼしたのは中国の美術。鎌倉末期に禅宗とともに伝わった水墨画は、「簡素で地味だけど、わかる人にはわかるよね」というスノッブさで、禅に心酔する室町将軍家に愛された。理想の風景を表現した山水画、禅の悟りを絵で伝える禅画、俳人による文人画などが描かれたこの界隈で、最もリスペクトされたのは中国・南宋時代の画家、夏珪や牧谿。京都の相国寺からは、

ナンパもダンスも団欒も。

浮世絵のルーツは庶民の日常を描いた風俗画だ。踊り、祭礼、遊郭に興じる町衆たち。実は平安の絵巻にも風俗描写はあるのだが、独立した絵として描かれるようになったのは戦国時代が終わる頃から。踊りなら踊り手をズームアップし、遊里なら親密な空気や猥雑な会話も伝わるようなフレーミングで。非情の世に隠れていた人間の愛すべき営みに目を向けてみたら、意外と絵になった、ということだろう。ほかにも、宴や歓楽の様子を肯定感

描かれたキャラで画家を知る。 動物たちの妄想劇場。

絵の中の動物をキャラ化して見ることはないだろうか。「この応挙の仔犬、絶対、眠いって言ってる」レベルの戯言で。その体でいくと、竹内栖鳳の獅子は孤高のボーカリストで海北友松の龍は歌舞伎役者。鳥獣戯画は小劇場の役者たち? 
 
京都画壇を率いた栖鳳は、寡黙ながら多くの画家に慕われた。土田麦僊ら愛弟子が反旗を翻した時もその自由を尊重し、西洋かぶれと揶揄されても気に留めず。まさに獅子王のカリスマだ。
 

日本絵画は家具だった。

信長や秀吉ら天下人の注文に応えてゴージャスな桃山インテリアを制作したのは、日本画壇最強の絵師集団・狩野派。平安時代に生まれた優美でカラフルなやまと絵と、大胆な水墨画を融合させ、豪壮な画風を打ち立てた。ライバルは長谷川等伯率いる長谷川一門。両者とも、金箔地に濃彩を施した金碧障壁画と水墨の障壁画を描き分け、特に金碧障壁画は権力アピールの舞台装置として利用された。
 
一方、日本美術のアイコン的屛風を多

奇想の前提

表現というのはある条件が揃うと「奇想化」しがちです。ある時代、あるエリアで、足並み揃えて。それはかなり高い確率で起こります。「奇想化」には別の名前の仲間がいろいろいます。代表格は海の向こうの美術の親戚筋ーーもともと〈歪んだ真珠〉というネガティブな意味の「バロック化」。あとはルネッサンス直後のイタリアに現れた「マニエリスム化」。「ロココ化」も女々しさに偏りすぎだけど、まあ仲間かな。さらに僕なんかは美

常軌を逸した「うまい!」は 極上のエンターテインメント。| 長沢芦雪

人を喜ばせたり驚かせたりするエンターテイナー性で、奇想の画家を語るならば、東のトップは歌川国芳、西は芦雪で決まりだろう。芦雪が描く猿たちの人を食ったような表情や、3㎝角の紙に500人のおじさんを描き込む遊び心を、奇想といわずして何といおう。丹波の武士の家に生まれた芦雪は、京都の円山応挙に写生画法を学び、高いデッサン力を身につけた。だが生来の奔放な気質ゆえか、優等生的画風からは即・逸脱。応挙の代理絵

荒ぶる幕末浮世絵師が 俺たちのヒーロー。| 歌川国芳

奇抜な絵も滑稽な絵も、はたまた気味悪い絵も、国芳の浮世絵はいつだってカッコいい。ワイドスクリーンいっぱいにどくろを描いた錦絵の、ただ事ではない迫力はどうだ。
 
英雄や豪傑を描いた武者絵で一気に名声を高め、三枚続の錦絵で人気を不動のものにした国芳は、幕府批判さえも軽々とやってのけ、江戸の庶民を喜ばせた。例えば1841~43年の天保の改革時。役者絵や美人画が禁じられれば、猫やガマガエルを役者に見立て