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“イタめし”ブームの立役者、 現役ベテランシェフ、大いに語る。

イタめしブームのはしりは、1985年にオープンしたニューヨークスタイルの劇場型店舗〈バスタ・パスタ〉だった。シェフを務めたのは山田宏巳。華やかで軽やか。堅苦しいマナー不要の、まさに新時代の幕開けだった。
 
あれからン十年。日本のイタリア料理は激しく多様化が進んでいる。今も現役であり続ける、歴史の証人3人が怪気炎を上げる。

ケン・リュウ『紙の動物園』のぼくと母

名前:ケン・リュウ『紙の動物園』のぼくと母

症状:母さんが中国語で話しかけようものなら、ぼくは返事をしなかった。(中略)やがて、母さんはぼくがそばにいるときには、まったく話さなくなった。

備考:中国生まれ米国育ちの著者によるSFファンタジー。中国移民の母子の心の断絶を描いた表題作は2011年史上初の3大SF文学賞を制す。全7編。早川書房/680円。

曜変で何を飲んでいた? 謎めく宋の茶文化に迫る。

「黒釉の建盞をここまで流行らせたのは、宋における喫茶のニューウェーブ“闘茶”ですね」。そう教えてくれたのは、前出の陶芸家、孫建興さん。宋代に建窯が隆盛した背景にも、茶そのものの流行り廃りがあったようだ。
 
建州の茶や建盞が文献に現れるのは書家・蔡襄の『茶録』(1064年)。「茶の色が白いので黒い茶盞がいい。建安で作られる茶盞は兎の毫のような紺と黒の紋がある」と書かれている。宋の茶は、抹茶の粉を茶

曜変の「黒」だけに潜む 特別なヒミツとは?

翌日は、曜変にまつわる現代中国陶磁界のキーパーソンに会う。1人目は陶芸家の孫建興さん。国家級非物質文化遺産、日本でいう人間国宝だ。山水画を背景にしたような南平市の工房で、40年にわたって建盞を研究し、曜変や油滴の復刻に挑んでいる。

月に1度、約1000点ずつ窯入れする登り窯は、4つの焼成室を持つ連房式。建盞はすべてこの窯で焼くそうで、周りには、赤黒い釉石と馬尾松の薪が山のように積まれている。土は

建窯の「モノハラ」に 隠された曜変の真実とは。

「自分の足の下に、まだ見ぬ曜変天目が埋もれているかも。そう妄想するだけでもロマンがありますね」
 
曜変天目をめぐる謎を追いかけてこの美しい茶碗が生まれた中国にやってきた茶人・千宗屋。目指すは曜変天目が焼かれた地、福建省建陽区だ。蓬萊仙境が広がる世界遺産・武夷山があり、翡翠色の九曲渓が流れ、岩場の茶畑や苔むした洞窟が点在する、ここはまさに桃源郷。でもそんな絶景より何より、800年前に曜変天目を焼い

我々は日本という国に、棄てられたんです。| なかにし礼

終戦は紛れ込んで逃げた軍用列車の中。6歳の終わりの頃でした。そこで我々と関東軍の中国人兵士たちとの立場が逆転するわけです。今、天皇陛下がポツダム宣言を受諾して日本は負けたと。軍用列車には日本の軍人がたくさん乗っていましたが、彼らは武装解除されて連れていかれてしまった。我々もすべての荷物を取られてね。僕は子供でしたから、悔しいも悲しいもなかった。神風が吹くとも、日本が勝つとも思っていなかったので、特

花道の歴史。

花道の起源を特定することは難しいが、もともとそこには宗教的な要素があったと考えられている。「まずは、太古の人々により、神が天から降りてくる“依代”として神前に供えられた花があります。次に仏教文化からの影響として、仏前に花びらを撒く“散華”がある。これがインドから中国を経て日本に伝わる頃になると、花瓶に入れられて供えられる“供華”となりました。この花と花瓶を合わせる、という文化は、その後の日本の花道

【屈辱の町に香るバター茶】内モンゴルを味わうための語彙力とは。

 ドスの効いた怪しげなビル。「馬記 蒙古肉餅」はその五階にある。その店名からそこはかとなく漂う異国のマッサージを経由した性サービスの気配。いや、それはおのれの欲望の写し鏡か。マーキーモウコローピンと読むらしい。マーキーモウコローピン。読んだ端から覚えようという気持ちが冬の夜風に散っていく。

 それは高田馬場にあった。高田馬場には嫌な思い出しかない。大人計画を旗揚げした25、6歳の頃、この町のハン