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京都

アートが見せるスポーツブランドの新たな一面。

アディダス オリジナルスが新たなアーティストコラボレーションプロジェクトの一環として、特別展『Tanaami×adidas Originals』を開催。現代アーティスト、田名網敬一とのコラボレートによって「ADICOLOR×TANAAMI」コレクションが誕生した。これまでもステューシーやマーク ジェイコブス、ルイ・ヴィトンなど、名だたるファッションブランドと作品作りを行ってきた田名網。今回のコラボ

キャラの印象は何で決まるの?

「アニメのキャラクターを見た際に萌えを感じるか、別の感情を覚えるかは、複数の要素が絡んできます。“顔”や“髪形”“髪色”“声”“身長”などキャラクターの特徴は色々ありますよね。結論から言うと、人間は萌える/萌えないを顔の“輪郭”と“目の大きさ”によって判断していることがわかりました。私の研究では、『涼宮ハルヒの憂鬱』の涼宮ハルヒや『ご注文はうさぎですか?』の保登心愛を“萌えキャラ”、『ルパン三世』

信仰とともにあり続ける茶碗。

3碗の中で、目にする機会の最も稀な作。堺というより当時の日本随一の豪商にして茶人でもあった、天王寺屋の津田宗及が所持し、宗及の父の菩提寺であった堺の大通庵から、宗及の次男、江月宗玩和尚が二世住持となった龍光院へもたらされた。以後、寺院の什物であり喫茶の器という、天目茶碗本来のあり方を失うことなく、400年にわたって龍光院に秘蔵されてきた。そして本作もまた、天王寺屋以前の来歴を辿ることができない。

救ってくれよ!

「そろそろ災いまみれの世が到来するけど、どうする?」という末法思想が蔓延した平安後期ならなおさらだ。貴族の間では、死後に極楽浄土へ導いてくれるとウワサの阿弥陀如来にすがる者が増え、阿弥陀が信者を迎えに来る来迎図や仏像を作ることが大流行。後の鎌倉時代には、《阿弥陀二十五菩薩来迎図》《山越阿弥陀図》という劇的お迎えシーンも描かれ、死後の世界を恐れる民衆の救いとなった。
 
さて、末法思想の不安とは裏腹

盛って描くかリアルを残すか、 男たちの顔面決戦。

平安時代、礼拝や尊崇の対象として描かれたのが貴人や高僧の肖像画。やがて写実的な墨描きポートレート「似せ絵」を経て、中世には天皇や武士など権力者の肖像が描かれ始めた。
 時の大物の絵とあらば、求められたのはリアルな姿より、本人や発注者にとっての理想像だろう。抑えた表現で気品と威厳を描き出した《伝源頼朝像》はいかにも人格者に見える。《鷹見泉石像》は、蘭学の弟子(渡辺崋山)が師匠(泉石)を描いたものだか

めくるめく、オトナの絵本。

絵巻とは、巻物になった絵本のようなもの。詞書(物語)とその場面の絵を交互に見て、物語の世界をあれこれ想像する。仏画が仏教の教えを伝えたように、絵巻は日本の教養を面白く伝えるツールだったのだ。いわば「合戦絵巻」は「マンガで覚える歴史」で、「説話絵巻」は「アニメで知る昔話」。右から左へとストーリーを途切れなく伝える構成は、ダイナミックな時空間の飛躍や、緩急つけた戯画的表現を生み、ゆえにアニメの原点とも

モノクローム好き。

日本の近代絵画は西洋からの刺激で発展したが、それ以前の絵に影響を及ぼしたのは中国の美術。鎌倉末期に禅宗とともに伝わった水墨画は、「簡素で地味だけど、わかる人にはわかるよね」というスノッブさで、禅に心酔する室町将軍家に愛された。理想の風景を表現した山水画、禅の悟りを絵で伝える禅画、俳人による文人画などが描かれたこの界隈で、最もリスペクトされたのは中国・南宋時代の画家、夏珪や牧谿。京都の相国寺からは、

ナンパもダンスも団欒も。

浮世絵のルーツは庶民の日常を描いた風俗画だ。踊り、祭礼、遊郭に興じる町衆たち。実は平安の絵巻にも風俗描写はあるのだが、独立した絵として描かれるようになったのは戦国時代が終わる頃から。踊りなら踊り手をズームアップし、遊里なら親密な空気や猥雑な会話も伝わるようなフレーミングで。非情の世に隠れていた人間の愛すべき営みに目を向けてみたら、意外と絵になった、ということだろう。ほかにも、宴や歓楽の様子を肯定感