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パリ

ジャン・ジレル

馬や羊が草を食み、ロマネスク教会が佇むブルゴーニュ地方の小村に、アジアの秘宝「曜変天目」を探求し続ける陶芸家、ジャン・ジレルさんと妻のヴァレリー・エルマンさんが住まう。

「ここは、昔から煉瓦作りをしていた土地。まずはこの環境を見てほしい」と、丘陵を見晴らすテラスでジレルさんは言う。鉄分の多い煉瓦の材料の赤土と粘性の高い黄土に恵まれ、豊富な湧き水を湛える井戸もすぐそばに。森林整備も兼ねて、裏山の豊

神戸のアトリエ

二階の部屋に置かれた
わずか五枚の絵のせいで
部屋の床はたわみ
底が抜けてしまいそうだった
試しに一枚を持ってみると軽いのだが
眺めていると いやに重ったるい

五枚のキャンバスに
閉じ込められているのは
同じ男の顔だった
南米、パリ、ローマ
スペインのラマンチャ
諸国を旅して 探して 見つけたのも
同じ男の顔だった

その後も男は自画像を描き続け
パレットの裏にひとこと書き残して
酒に酔った車の

12星座をダイヤでデザイン。

LAを拠点とするジュエリーブランド〈スピネリ キルコリン〉から新作チャームが登場。シルバーで作られた球体には、それぞれ12星座の形にダイヤが埋め込まれている。ゴールドのチェーンを合わせて、よりラグジュアリーなムードに。ネックレスチェーン330,000円、チャーム各104,000円(スピネリ キルコリン/サザビーリーグ☎03・5412・1937)

歴史画の起死回生。

「日本画」という言葉や概念は、哲学者アーネスト・フェノロサが、明治15(1882)年に使ったのが始まり。西洋礼賛一辺倒だった明治11(1878)年に来日したフェノロサは、教え子の岡倉天心とともに日本美術の再興に努める。やがて伝統的な日本美術を教える〈東京美術学校〉も開設。校長となった天心は、「伝統を学ぶ。写生をする。意味を表現する」の3つが新しい日本画と説いた。そんな中、中国と日本の史話や神話を題

才能は閃光のように。

ジミヘン、カート・コバーン、ブライアン・ジョーンズにエイミー・ワインハウス(バスキアも)。多くの天才ミュージシャンが27歳で夭折した謎を「27クラブ」と呼んだりするが、日本ではなぜか洋画家に早世者が多い。村山槐多は22歳、佐伯祐三は30歳。三岸好太郎が31歳で松本竣介が36歳。 明治末期から大正の洋画黎明期を駆け抜け、時代に強烈な光芒を刻みつけた青木繁と関根正二もまた、薄命の天才だ。海への祈りと神

裸体デモクラシー。

ヌードを芸術として描き、公の場で鑑賞するという文化が日本に入ってきたのは明治後期。美しい裸体表現は精神の美を表す手段であると考える西洋では、ヌードが絵画の重要ジャンルであり、宗教画の場面という言い訳でエロスとしてのヌードもたくさん描かれてきた。が、日本ではそういう西洋のヌードに触れるまで、エロスを描いた春画はあれど「裸体」ジャンルはなし。日本の裸体デモクラシーは意外と最近のことなのだ。明治中期に渡

死屍累々を描く。

「日本の戦争画を見る面白さのひとつは、もしかしたら世界でも一番、戦争画に向いていない民族がやろうとした、ということかもしれません」と会田誠は言う(講談社『戦争画とニッポン』)。作戦記録画と呼ばれた戦争画は、第二次世界大戦中に国家が描かせた、一種のプロパガンダ絵画。藤田嗣治のほか、小磯良平や宮本三郎ら多くの芸術家が従軍画家に召喚された。人体のダイナミズムを圧倒的写実性で表す戦争画は、西洋でいえば馬上

フランケンの花嫁、 ランチェスター自伝。

エル・ファニング主演の『メアリーの総て』は、『フランケンシュタイン』を書いたメアリー・シェリーの文化周辺をくまなくさぐり脚本に生かした、まさに邦題通りの映画となっていた。特に父親が経営していた、当時の文化センター=書店の山積みされた書籍のたたずまいにはうっとりするばかりだ。

200年経っても舞台化、映画化を含め、いろいろな試みがなされているが、ブームの思わぬ余波が一人の女優の自伝の復刊にも及び、