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骨董品

スペシャリスト2人が語る、伝統建築のこと。

藤塚光政 さてまずはここ、宮城さんのホームグラウンドでもある平等院の話から始めましょうか。鳳凰堂って、洲浜のせいか甲殻類が池に入っていくようにも見えるし、また翼廊と尾廊があるせいか、そのシルエットが鳳凰よりオスプレイのように見える。ほかにはない特殊な平面の建築だなと思いました。
宮城俊作 そうですね。ある意味で具象建築ですね。平等院は、遣唐使の廃止後、和様が独自の発展を遂げて形を成しつつあった時代

村岡権蔵/傷物時計オタク

 シャイな村岡さんは、ちょっと変わった時計オタク。時計好きは数多く世の中にいるけれど、彼は“傷物”のみを蒐集。その数ざっと200本(そのほとんどがアナログ盤)。もともと時計ではなく、壺など骨董品をコレクションしていたのだが、値段が天井知らずなのと、物そのものではなく裏側にあるストーリーが好きなことに気づき、蒐集対象を時計にシフト。友人を訪ねて壊れた時計を譲ってもらったり、昔から懇意にしている骨董品

もののプロファイルでなく、バイブスを受け取りたい。|中村ヒロキ

「この道の一大事は、和漢この境をまぎらかす(日本と中国のものの境目を曖昧にする=混ぜる)こと」。室町期に「侘び茶」を創始した茶の湯の開祖・村田珠光の言葉を現代にまで繋げてみるとすれば、中村ヒロキさんのセンスこそはその「最前衛」といえる。伝統的な日本家屋の自宅にしつらえられるのは、安土桃山時代の器からフランスの古布、アーミッシュのキルト、エチオピアのハットまで……、「和漢」どころか日本と世界中を、し

繰り返し、繰り返し、見尽くせない魅力を味わう。|鈴木理策

「生きている間に、これだと思う盃を5つ、徳利を2つ見つけたい」。“皮鯨”と呼ばれる唐津の盃を手に、そう話す写真家の鈴木理策さん。縁に鉄釉をかけた桃山時代のこの盃は、6年前に知人から譲り受けたものだ。
「きっかけは10年ほど前。友人宅に食事に招かれ、骨董の器が並ぶ食卓の光景を見て感動し、興味を持つようになりました。その後、縁あってこの皮鯨が私の手元にやってきまして、盃一つでは寂しいので、隣に置いても

自分で決めたルールの中で、電子機器に侘び寂びを見る。|伊藤 弘

 アタッシェケースを開けると、中から現れたのは鍵盤がセットになったシンセサイザーだった。《EMS Synthi A》という1970年代の初頭に作られた名機。古いものには、強い興味はないという伊藤弘さんだが、「風流ではあるよね」と音を鳴らした。
「可聴の帯域よりも外の波長が出るんです。脳みそに突き刺さるような音が出るのが、ほかのシンセサイザーとは違うところ。シンセは初期には波形をいじるちょっとした化

作り手の想像を超えた姿を、今の感性で愛でる。|安藤サクラ

 「私のピンポイントの乙女心をつつくもの」。女優の安藤サクラさんは幼い頃からヴェネチアンモザイクに魅せられてきたという。「それを知って、文筆家の清野恵里子さんがブローチをプレゼントしてくださいました。身に着けるのもいいけれど、私は眺めているのが好き。その時代にしか出せない色が、時を経て変わっていき、作った人が絶対に見られない色がここにあるんだなって思うんです」
 作り手の想像を超えたものの姿。オー

本来はみな道具、「わだば平安と生きる」。|杉本博司

 現在では蒐集専業だが、現代美術作家の杉本博司さんは、民藝から始まって、仏教美術や神道美術の優品を美術館へ納めるほどの古美術商をNYで営んでいた、いわば骨董のプロ。だから本来道具として作られたそれらは人に使われてこそ、つまり茶碗なら茶を点て、仏像なら拝まれることで、伝世の味わいが増すとよく知っている。
 古典へのリスペクトが深く、時に平安原理主義を標榜する杉本さんのコレクションの中で、日常生活での

心がはやる時、ふと目を向けたくなる「質感」の気持ちよさ。|菅野康晴

 1000部限定、定価8000円。昨年11月に創刊し、「その筋」の人たちの間で話題を呼んでいる新しい骨董・工芸の雑誌『工芸青花』の編集部は、新潮社の古い倉庫の中にある。たった3名ほどで編集から受注、発送までの作業を行うというそのスタイルは、編集長の菅野康晴さんいわく「個人商店」。少数の読者へ届けるため、細心の心遣いで丁寧に作られた美しい誌面はまさに工芸品のようでもある。とはいえ、編集作業に追われて

使っている時の楽しさを想像しながら、買い集めている。|森岡督行

 築80年を超えるビルに古書店を構える、森岡督行さん。目の届く範囲でと、たった100冊ほどの本を並べる空間に、愛する古道具も大切に置かれている。聞けば、古いもの好きの血は小学生の頃から流れていたという。
「叔父が譲ってくれた切手帳が面白くて、戦前の普通切手の色や柄に惹かれ、当時からお小遣いを全額投入していました」
 中学になると金貨。空き缶や古着を集めていた時期もあった。
「当時は根暗と思われるの

理屈よりも直感で。外国が日本の魅力を教えてくれた。|斎藤久夫

 ブランド〈TUBE〉代表であり、1970年代より洋服に携わってきたメンズファッション界の重鎮、斎藤久夫さんは、70〜80年代のロンドン、ニューヨーク、パリなど、海外で染付の器を買い集めた。
「若い頃は日本のものをそんなに愛していなかったんですけどね。ある時パリのマーケットでフランス人に鳥獣戯画の写しを見せられて、おまえにこの価値がわかるかと熱く語られ恥をかかされて。日本のものにそんなに価値がある