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JUN

ダウンタウンが笑いをマットーにしましたね。|みうらじゅん

少年期、関西で見て育ったのは、現在のお笑いとは一味も二味も違うじわじわパンチが効いてくるブルース系の漫才だったんです。例えば、夢路いとし・喜味こいしさんが得意とした「うちの細君がね……」って、いっつも決まって嫁はんネタに持っていくパターンもブルースの3コードの一つで、小学生にしたら嫁の悪口の話なんてピンとこないんだけど「また出た!」っていう、親戚のおじさんが酔った時の十八番の歌みたいな感じがなんと

JUNGHANS

クリーンでシンプルなダイヤルのデザインは、バウハウスの現代的な再解釈といえよう。スリムなバータイプの時分針が、的確に各インデックスを指し、長さが絶妙。分秒インデックスを四角に窪ませているのが、新鮮である。さらにダイヤル全体は、緩やかなスロープ状に仕立て、ミニマルな中に豊かな立体感を創出した。優れたデザイン性は、ドイツ伝統のクラフツマンシップが支える。

子供の記憶を飾って愛でる。|原田 学

 古着愛が高じて、珍しいバックパックやJUNKなものを一冊にパッケージした『THE SUKIMONO BOOK』シリーズではセレクターを担当するスタイリストの原田学さん。現在43歳、アメカジドンズバ世代なだけに、10代からヴィンテージにどっぷりかと思いきや、意外にも「古着熱が上がったのはスタイリストを始めた22歳。世の中のブームが落ち着いた25歳の時に僕の中で絶頂でしたね(笑)」とやや遅れてのスタ

Gods Own Junkyard

 40年間、精力的にネオンアートを作り続けた男が、昨年11月にこの世を去った。クリストファー・ブレイシー。ソーホーの歓楽街を歩けば目に入る、あらゆるネオンの生みの親であり、スタンリー・キューブリックの『アイズ ワイド シャット』や、バットマンシリーズなどのヒット映画に作品を提供。息子たちが家業を引き継いだ倉庫には、映画や広告の大道具、古いショップサインなどが無秩序に、けれど最高に楽しげに輝いている

〈らーめんstyle JUNK STORY〉の「塩のキラメキ」

 これに出会うまでは、ラーメンに対して“濃い”というイメージを抱いていて、少し抵抗がありました。でも友人に、そんな私でも食べられるよ! と強く勧められて以来、回数を数えきれないほど食べています。透明でキラキラしたスープと、抜群に相性のいい具たち、しっかりとした麺、どれを取っても魅力に溢れています。特に推したいポイントは、普通の塩ラーメンとはまったく違ったサッパリ加減! それでいて、素材の旨味と魚介

運がよかった人生に、何か恩返ししたいと思って。|佐々木 忠

 僕はね、「洋服」はいち早く取り入れ、規模は比較的小さく、後は「宣伝」と「ゴルフ場」という、すごく好きなものを3つだけやったからうまくいったんです。食べ物屋だの何だのとやって、そんなに甘くないってことがわかりましたしね(笑)。60歳くらいの時にコンピューター社会に変わっていって、ちょうど息子(現社長)が会社に入って10年くらいの頃、いくつか成功事例を作っていたので、「やってくれるか?」と聞いたら「

純情のふりをしてたら、ジュンちゃんって呼ばれてね。|佐々木 忠

 卒業してから6月までは何もせずフーテンをしてました。当時は勤めなきゃいけないっていう時代じゃなかったんですよね。子供は親の仕事を継いで、2人いたら2人で分けて、勤めに出るというのは特別な、東大とかいいとこ行っている人間がするもので。だから僕は何にもしてなかったんですが、あのーちょっと仕事したいって言ったら親が5万円くれて。今の50万円ですね。僕はね、その頃みゆき族だったんですよ。みゆき通りにすご

四の五の言わず即行動。己を奮い立たせる男たち。

 ミュージシャンのTOSHI−LOWは人が言いづらいこと、自分が正しいと信じたことを、公の場で臆することなく言える男。自分を奮い立たせる何かを常にストイックに求めている。キャンドルアーティストCandle JUNEの、自分の世界観の作り方、仕事への挑み方に強烈な印象を覚えた。一つ一つの言動がいちいちドラマティックな男。ミュージシャンであり政治活動家の三宅洋平は、以前から原発問題について発言し、己の

Junior Arm Chair|ジュニア アームチェア (1966)

親日家でもあったイタリアンモダンの建築家アンジェロ・マンジャロッティが1966年に発表した組み立て家具シリーズ。釘もネジも要らず、切れ込みのあるパーツをはめ込むだけのシンプルな構造。芯材は積層合板だが、表面は木目の表情も豊かなシラカバ材。“ジュニア”の名の通り子供の教育ツールとして考えられた面もあり、幼稚園などでも使われていた。日本のメトロクスが2013年に復刻。