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最終回

女はいくつになっても女ですし、それなりの面白さがある。| 吉行和子

 アングラに移って後悔はしませんでした。どんな役でもおじけづかないで立ち向かっていく力がついたのは、早稲田小劇場で鈴木忠志さんに怒られながら受けた洗礼のおかげです。それから随分経って金八先生をやって。脚本をお書きになった小山内美江子さんから手紙をいただいてね。「民藝で真面目にやっていたあなたが、いま見るとめちゃくちゃだ」「もう一度、初心に戻ってくれませんか?」と。民藝の殻を破りたくて、あばずれの役

人生は不安に決まってるじゃないですか。| 養老孟司

 解剖学の研究をしているうちに、物事を解剖して考えるようになりました。方法には必ず目的がありますからね。今の人って、「やってるのは自分だろ」っていうのを忘れるんですよね。特に科学はそうですよ。客観的な事実というけれど、お前が見てるんだろ? ってね。客観的な事実ってどこにあるんですか? 実はそれは神様目線ですよ。一神教の世界ではあり得るけれど、人にはそんなものはないですよ。人は一生、ほかの人と同じも

石原裕次郎さんは、僕の生涯の大恩人です。| なかにし礼

 昭和38(1963)年の夏の終わりに、新婚旅行で訪れた伊豆の下田で石原裕次郎さんと出会いました。彼は有名なスター、僕は一介の苦学生。それが向こうから声をかけてきた。指を差されて「君たちは新婚かい? 新婚カップルがたくさんいるから品評会をやってたんだ。君たちが一番かっこいいね」と。ビールをご馳走になって、僕がシャンソンの訳詩をしている苦学生だと知ると、「こりゃ、嫁さんを食わせていけるか心配だな。日

自分の作品は全部ね、まだ終わっていないんです。|松本零士

本当にインキンタムシが助けてくれたんですよ。漫画を描くときの目的意識をはっきりさせてくれました。それ以来、ずっと描いています。自由業ですからね、退職金もない、最後まで働かなきゃいけない。けれどガキの時から宇宙を飛ぶことが切なる思いですから。この地球を見てからあの世に行きたい。今までは残念ながら1万6000mまでしか行ったことがないんです。コンコルドを操縦させてもらいましてね、パリからリオデジャネイ

草尾 毅×緑川 光

平成のアニメ史とカテゴライズすると、彼らはその黎明期から名をとどろかせてきた2人であろう。時代を代表するアニメ作品の一つである『スラムダンク』において主人公・桜木花道を演じた草尾毅、そのライバル・流川楓を演じた緑川光の2人だ。30年間で声優という仕事はどのように変わったのか、時代の潮目となる作品は何だったのだろうか……。平成アニメーション史を振り返ってもらう。

井上 峻/変態を追い続けた男

念すべき100回を迎えた本連載ですが、区切りもいいため今回で最終回。ということで、ラストは変態を追い続けた著者自身が登場。2013年1月11日売り号から始まり、気づけば約6年。変態探しのため、新しい人と出会うたびに「変な趣味ありませんか? 変な知り合いいませんか?」という質問を、何人にしたんだろう……。出演者数の10倍以上はいるはず(1,000人以上!)。99人に取材してわかったことは、多くの変態

90歳になっても殺し屋の役をやりたいね。| 宍戸 錠

もともと、自分をプロデュースするタイプというかね。その当時、小道具のピストルなんかもモデルガンが少なかったので自分で調達してさ。衣装もいいのがなくて、ウエスタンブーツの装飾を自分で作ってた。ハリウッドまで観に行ってたからね。男でおおっぴらに自分のプロデュースをする、みたいなことをやったのは、俺が日本で初めてだったんじゃないかな。「頰に入れたアンコは取れるんですか?」と先生に聞いたら「顔に傷がついち

役を選ぶよりも、映像に携わることが楽しいんです。|里見浩太朗

 テレビの時代になって『水戸黄門』の助さんや『長七郎江戸日記』、年末時代劇で『忠臣蔵』などを演じてね。映画の製作費が1億、2億なのに、日本テレビは5億、6億かけてくれた。それでね、時代劇の往年の大スターとも共演できた。なかなかできないことなんですよ。僕が50代になった時に、ふと周りを見たらみんな亡くなってしまっていて。僕はいつ大型時代劇の主役になれるか、いついい作品に巡り合えるかと思っていました。