
テーマ〈続々・宴会/出遅れる〉
やつい 宴会で名刺をもらっても100%連絡しないんですよ。HPのアドレスこれなんでって言われても、そんな面倒くさいことしない。LINEにするとか、もういいから手っ取り早くスマホを見せてくれって思いますよね。
宮沢 名刺をデータ化してくれるサービスがあるけど、どうやってるか知ってる? 名刺の写真を送ると、その会社の人が手入力してる。だからなかなか来ないんだよ。
やつい そんな原始的な。
宮沢 情報バ
やつい 宴会で名刺をもらっても100%連絡しないんですよ。HPのアドレスこれなんでって言われても、そんな面倒くさいことしない。LINEにするとか、もういいから手っ取り早くスマホを見せてくれって思いますよね。
宮沢 名刺をデータ化してくれるサービスがあるけど、どうやってるか知ってる? 名刺の写真を送ると、その会社の人が手入力してる。だからなかなか来ないんだよ。
やつい そんな原始的な。
宮沢 情報バ
絵の具が床に散乱する、柔らかな光差し込むアトリエ。そこへフラリと自転車で現れた横尾忠則は、飄々と力むことなく人生を語ってくれた。「また遊びにいらっしゃい、次はサイケの話をね」。日本を代表する芸術家は、強い自我を撒き散らすことなく、流れるように生きている。「模写」を始めた5歳の頃のままに。
1学期までは聖戦だと言ってた先生が、2学期になって実は間違った戦争だった、侵略していたのはアメリカやイギリスではなく、日本だったと。子供なりに、大人がもっともらしい口調で言うことも、新聞もラジオも信用できないなぁ、国も国民を騙すことがあるんだなぁと強く思った。これが僕の原点です。だから今も非常に疑り深いですよ。メディアなんて信用できないと思ってる。だから自分の目で、耳で直接確かめるんです。僕は今
やつい 沖縄行ってましたよね?
宮沢 舞台『夏の終わりの妹』のためにね。大島渚の『夏の妹』っていう映画があって、沖縄を舞台にしているんだけど、あれは返還直後に撮りに行ってる。そういうタイミングを狙うんだよね、大島さんって。それで変なものを作っちゃったっていう(笑)。
やつい 作品として固まる前に、タイミングで撮りに行っちゃった。
宮沢 震災の次の年だった。みんなが支援とかで北へ北へと行っているとき
任侠時代劇や実録やくざものなど、プログラムピクチャーを量産して数多くのヒットを飛ばし、興行トップに君臨していた東映。なかでも特に1970年代のアウトロー映画に、片や少年時代から、片や中年になってから魅せられた2人が、兄弟盃(?)を交わしながら語り合う。
一定の地位を得ながら、若い才能に積極的に働きかけてきたハーヴェイ・カイテル。例えばタランティーノの脚本に注目し、その作品に出演して強い印象を残しました。その姿勢に、アメリカン・ニューシネマ以来のインディペンデントの精神を感じます。中上健次について、作品以外の彼を知る術がありませんが、昭和天皇の崩御に際して書かれたエッセイには、この国の大きな歴史のうねりが流れていると思えてなりませんでした。それを
楽曲のインターネット配信が普及し、音楽の聴き方が大きく変化すると共に、ミュージシャンに関する情報も手軽に入手することができるようになった。しかし、ネット上に星の数ほどある情報ではなく、アーティスト本人が公認したバイオグラフィやコメントを収録したライナーノーツは、CDにしか収録されていないケースが多い。制作上のデータや舞台裏などライナーでしか得ることができないことはいまだ多く、それが新しい発見や音
貴一と一緒の写真がないと言って
病床の小津先生を説得して撮ったのが、
生前最後の写真になったそうです。
首に包帯を巻いたまま僕を膝の上に抱いてくれて。
歴史は人を美化したり、英雄視したりしてしまうけど、
僕が聞いて知っているのはセンスがよくて、
お酒が好きな等身大の小津安二郎です。
中井貴一