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太平洋

これも、花。

中川幸夫という、花の生から死までをいけきろうとした人がいた。花を切り、器に挿す。切られた花は種を宿すことなく急速に死へと向かう。いけばなは、死に花を生かす芸ともいえる。その核心に最も自覚的であったのが中川幸夫であろう。
 
中川がいけばなの世界に登場したのは、太平洋戦争後に興った所謂いけばなブームの潮流の最中であった。戦後の経済成長の下、人々は死の香りを消し去るかのように様々な余暇に興じるようにな

めくるめく、オトナの絵本。

絵巻とは、巻物になった絵本のようなもの。詞書(物語)とその場面の絵を交互に見て、物語の世界をあれこれ想像する。仏画が仏教の教えを伝えたように、絵巻は日本の教養を面白く伝えるツールだったのだ。いわば「合戦絵巻」は「マンガで覚える歴史」で、「説話絵巻」は「アニメで知る昔話」。右から左へとストーリーを途切れなく伝える構成は、ダイナミックな時空間の飛躍や、緩急つけた戯画的表現を生み、ゆえにアニメの原点とも

死屍累々を描く。

「日本の戦争画を見る面白さのひとつは、もしかしたら世界でも一番、戦争画に向いていない民族がやろうとした、ということかもしれません」と会田誠は言う(講談社『戦争画とニッポン』)。作戦記録画と呼ばれた戦争画は、第二次世界大戦中に国家が描かせた、一種のプロパガンダ絵画。藤田嗣治のほか、小磯良平や宮本三郎ら多くの芸術家が従軍画家に召喚された。人体のダイナミズムを圧倒的写実性で表す戦争画は、西洋でいえば馬上

近代北海道の歴史はここから始まった。

北海道大学、通称「北大」の前身、札幌農学校が開校したのは1876(明治9)年のこと。旧東京大学よりも1年早い開校だった。箱館戦争が終結したのが1869(明治2)年だから、明治新政府がいかに重視し、その設置を急いだのかがわかる。当時、蝦夷地改め北海道にはロシア南下の脅威があった。ぼーっとしている余裕はない。北海道開拓は新政府の重要課題の一つだった。
 
それにしても、新しい国づくりの根幹に農業(酪農

水木しげるの未発表原画21枚が、ついに書籍化!

 2015年11月30日、日本を代表する漫画家である水木しげるが、93歳でこの世を去った。小さい頃、お化けや妖怪、地獄の話をしてくれたお手伝いのおばあさんの影響で、妖怪の世界に興味を持った。爆撃で左腕を失った太平洋戦争時、水木はその壮絶な日々の中で妖怪を見たと話し、のちの漫画人生で妖怪を主に描いていくこととなる。58年に『ロケットマン』で漫画家デビューした後、『ゲゲゲの鬼太郎』や『河童の三平』『悪

観たくても観られない。 そんな時代を生きてきた。| 大林宣彦 (映画監督)

あんな人物の映画は観たくないと思っても、観ればその人を深く理解できるので、積極的に観るようにしている。だから「観てない映画は?」と聞かれても、思い当たるものがない。そう話す大林宣彦監督には、しかし観たいと思っても映画を観ることのできない時期があった。
「戦後、被占領期は映画を観られませんでしたからね、GHQ(連合国軍総司令部)が観せてくれるもの以外は。GHQ最高司令官のマッカーサーが、日本人にアメ

朝日溫泉

太平洋に浮かぶ火山島、綠島は紺碧の海と珊瑚礁、熱帯雨林の多彩な緑に包まれた360度絶景の孤高の島。島内の交通手段は断然バイクがおすすめ。爽快な風を全身で感じながら二輪車を走らせれば1時間ほどで島を一周できる。港周辺の南寮村は島内唯一の賑わいエリアで珊瑚礁が続く穏やかな海岸線はシュノーケリング&ダイビングスポット。島北部にはかつてこの島が流刑地であった歴史を伝える遺跡も残され、荒波に削られた火山地質

太魯閣國家公園

 台湾でダイナミックな自然を感じるなら、太魯閣に行くのがいいだろう。東は太平洋、西は雪山山脈に接する〈太魯閣國家公園〉は台湾百岳に名を連ねる27座をはじめ、太魯閣峡谷、清水断崖と呼ばれる断層海岸など見どころが多い。
 ハイライトは太魯閣峡谷だ。台湾の中央部を東西に横断する唯一の道路、中部横貫公路(中横公路)の東の入口から、天祥までの約20㎞に及ぶ大峡谷は、立霧渓の浸食と、地殻変動の影響による隆起で

毎朝の、市場通いから生まれる洋菓子。|近江屋洋菓子店

 抑制というのだろうか。〈近江屋洋菓子店〉には何一つ、はしゃいだところがない。チェリーウッドの壁には絵画も掛けず、高い天井には、シャンデリアでなく花びら形の蛍光灯。昔の精肉店と同じショーケースに並ぶのは、ホイップしたてのクリームとふっくらしたイチゴを重ねたサンドショートや、シャインマスカットがこぼれ落ちそうなタルトだ。上等な素材を使い、素材以上を飾らない。日々質実を守るという在り方が、店の佇まいか