
相模原の住宅 | 野沢正光
川県郊外の住宅地で、特に目立つことなく、むしろ紛れ込むように野沢正光邸は立っている。48歳の時に造って27年。一人娘は独立し、通訳や翻訳の仕事をする妻との2人暮らしだ。建物は天井が低く開口部が大きい鉄骨造。センダンの大木を囲むように配した2つの棟と、それをつなぐ階段室から成っている。吉村順三や大高正人に学び、清家清の抑えたプロポーションを愛する野沢らしい、とてもささやかな住宅だ。
敷地には坪庭
川県郊外の住宅地で、特に目立つことなく、むしろ紛れ込むように野沢正光邸は立っている。48歳の時に造って27年。一人娘は独立し、通訳や翻訳の仕事をする妻との2人暮らしだ。建物は天井が低く開口部が大きい鉄骨造。センダンの大木を囲むように配した2つの棟と、それをつなぐ階段室から成っている。吉村順三や大高正人に学び、清家清の抑えたプロポーションを愛する野沢らしい、とてもささやかな住宅だ。
敷地には坪庭
スチームパンクな工場跡に、緑の人工芝が広がるウォーターフロント? コントラスト鮮やかなこの公園こそ、ブルックリンで今、話題沸騰の〈ドミノ・パーク〉だ。
ドミノという名前にピンとくる人もいるだろう。ここは創業1856年の砂糖メーカー、ドミノ・シュガーの工場だった場所。1870年にはここで精製する砂糖が全米消費量の半分を占めた、世界最大規模の砂糖工場だ。2004年に操業停止するも、その象徴性から0
大阪のセレクトショップ〈dieci〉のオーナー田丸祥一さんと堀あづささん夫妻の自宅は、1970年代竣工のヴィンテージマンション。そのリビングでひときわ存在感を放つのは、壁一面に設えられたオープンキャビネットだ。壁と棚にまつわるこんなエピソードがある。
今からおよそ20年ほど前、海外の雑誌で目にした、壁に棚板だけが付いたローズウッドの飾り棚。一目惚れした2人は、同じものを作ろうと決意。しかし、棚
イタリア語で「嵐」を意味する名前がついたアームチェア。デパドヴァが有名デザイナーを招いて始めたシリーズ「エ・デパドヴァ」の一作として、巨匠ヴィコ・マジストレッティが70歳を過ぎてデザインした。無垢のビーチ材を構造体に、座と肘掛けは特徴的な籐細工が施され、クラシックな竹製アームチェアの現代的な解釈となっている。なおオプションで専用クッションも用意されている。
竹材研究の成果を踏まえ、三越家具設計室に在籍した城所右文次がデザイン。山口県萩市の孟宗竹を使用したキャンティレバーは、フレーム部分を10層以上積層した構造体とすることにより実現。座も3層構造で軽さと丈夫さを兼ね備える。何よりも竹の弾性を生かした、適度にスプリングが利いた座り心地が魅力的。2011年、三越環境デザイン発足100周年を記念して復刻された。
サステイナブルな社会作りは世界共通の課題。再生可能な資源である木材を使用した建築の魅力が、今ヨーロッパを中心に見直され、木造の超高層ビルや大規模公共建築が続々計画中。そこで、新旧世界の木造建築を集めました。意外と知らない、日本が誇る名建築も。
日本で造られる「木の家」の建築家として、まず指を屈されるのは中村好文さんだろう。決して木造原理主義者ではない。だが建て主の生きる姿勢と家の佇まいとを一致させ、設計者が傲慢に扱えない素材としての木には、尽きない魅力があるという。
小屋がいくつか、大屋根の上下に入っている。建築家、納谷新さんの長年の構想が実現した自邸「360°」はそんなコンセプトから造られている。納谷さんは何年も前から時間があるとスケッチをしていた。敷地はスケッチ通りの家が建てられる場所を探して、見つけたものなのだそう。
この家では「なるべく編集するのをやめることにした」と納谷さんは言う。きれいに揃えたり、仕上げたりするのをやめた、ということだ。住宅に限
素材の性質や造りやすさといった理由から、木造の建物は真っすぐな柱と平らな壁の、単純構成になることが多い。しかしこの家にある壁は薄い板を編み込んだような曲面構成で、普段見慣れた木の壁とはずいぶん違った姿をしている。
1〜2階を貫く吹き抜けに2枚。存在感を示す間仕切りは、日本の伝統建築の壁や天井の仕上げとして馴染みのある、網代のような姿をしている。この網代のパターンは、レンズ状の膨らみのある畳半分