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資生堂

色や香り、音で驚きと楽しさを! 革新の料理で銀座から世界を目指す。

イタリアの名だたるリストランテで修業を重ねたのち、コペンハーゲンの〈ノーマ〉へ。そこで、フードロスやサステイナビリティへの取り組みにも感化され、強い思いを抱くようになったという能田耕太郎さん。紆余曲折を経て自身の方向性を見出し、シェフに就任したローマ〈ビストロ64〉での活躍ぶりは海を渡り、日本にも届いてきた。
「今の時代、世界を目指すならば、チャレンジし続けなければならない」と、東京銀座資生堂ビル

オリジナリティから生まれるウィメンズファッションの可能性。

 2015年春夏のサカイはこれまでになく高揚感があった。ミリタリーとフラワープリント。そこにはニット、レース、布帛といった素材が縦横に使われ、複雑な構造となっている。このところのサカイの影響力は「世界へ向けて」という言葉がぴったりとくる。パリコレのショーはパワフルだし、ニットから発想した複雑なドレスはストリートにまで影響を与えている。デザイナーの阿部千登勢の活躍は昨年7月号の『アメリカン・ヴォーグ

完璧にしすぎないっていう主義があるもんですから。|仲條正義

1968年からだとすると46年前に『花椿』の仕事を始めたことになります。エディトリアルのアイデアは一貫していたというか、時代の反映だと思ってましたが、写真が変わればガラッと変わりますからね。当時は新しいフォトグラファーが大体向こうから来る、降ってくるみたいな感じで見つかるんですから、こんなに楽な仕事はないですよ(笑)。宣伝部から「ああしろ、こうしろ」
とも言われなかったですしね。初期は言われました

フリーになってからは、その日暮らしをしていましたね。|仲條正義

独立してからは、親父とお袋がいる池袋の家で2、3年やってました。僕のところに来る仕事は、遊び友達みたいなやつが「これやってくれよ」っていうような仕事で、鳴かず飛ばず、まあ飛ばず飛ばずだな(笑)。その日暮らしをしてました。福田繁雄と江島任という友人と、丸善にあったギャラリーでちょいと展覧会やろうよって話になったことがありまして。夏場に日宣美の展覧会が髙島屋の大きなホールでやるっていうんでそれにぶつけ

給料が入ったら、ほとんど飲んじゃってましたね。|仲條正義

卒業するときに僕はのんきなこと考えてて、エラい先輩がいたり、厳しい会社に行くのやだなって思って。だから基本的に怒られてた、「君、何考えてんだ」って(笑)。それで少しは修業しなきゃ駄目だって先輩のいる資生堂に行きなさいと。でも資生堂は給料9000円だったんですよ。安い方だった。味の素が1万3000円近くていいなと思ってたんですが(笑)。資生堂に入ったら大変でした。朝は8時半に行かなきゃなんないし、

私たちの勝手なるマイルール。

デニムスーツの場合、すべてのパーツ(ジャケット、ベスト、パンツ)の色落ち具合を統一するために、同時に洗うようにしています。洗濯機、乾燥機はコインランドリーを使用。洗濯は2〜3回(洗剤抜きでね)、脱水が終わったらジャケット、ベストは濡れたままで着用して、自分の型をつける。そして乾燥機で10分(ガスの乾燥機だよ!)。生乾きの状態でもう一度着て、腕あたりのシワ感を確認してハンガーで自然乾燥。パンツは同じ