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タムくんウィーさんがガイド、 バンコクのウィークエンド・マーケット。

毎週末20万人もの人が訪れ、10万㎡もの敷地の中に約15,000店が密集する巨大マーケット。衣類、雑貨、食器、家具、骨董品、民芸品、アート作品、ペット……。地元民、旅行者、バイヤーと多くの人でごった返すショッピング天国を、日本でも人気の漫画家・タムくんとウィーさん夫妻がご案内。「エネルギーに満ちた場所。なにげない店で面白い掘り出し物があったり、楽しいよね」(タム)。「ココに来れば揃わないものはない

ジョージ・ネルソン|出会ったらマストバイな超稀少ヴィンテージプロダクト。

1950年、雑誌『HOLIDAY』の企画で建設された家のためにネルソンがデザインした照明。77年に商品化されたが、数年で生産中止となった幻のアイテム。可動式のシンプルなシェードが、空間に柔らかな光の表情を作り出す逸品だ。写真のブラック塗装タイプのほか、クローム、真鍮ポリッシュと3タイプ展開されていた。

もっと知りたい、ミッドセンチュリーデザイン。

デザイナーたちの活躍の背景には、戦争をはじめとする社会環境と、歴史の流れがあった。名作の誕生は、時代の必然でもあったに違いない。

1950年代前後のアメリカは、デザインを取り巻く環境に独特のものがあった。中でも重要なのは、45年に終結した第二次世界大戦だろう。戦勝国か敗戦国かにかかわらず、この戦争は世界中の国々に絶大なダメージをもたらした。しかし数少ない例外として、戦後すぐに勢いを回復したのが、

よく遊びに行った祖父の家はクラフトと アートに溢れた巨大なおもちゃ箱。

子供の頃、祖父であるアレキサンダー・ジラードの家によく遊びに行っていました。おしゃれで洗練された人でしたが、いつもジョークを言って僕や妹を笑わせてくれる陽気なおじいちゃん、という印象の方が強く残っています。デザインの話はほとんどしなかったので、何の仕事をしているのかはよくわかりませんでした。それでも、クラフトやアートに溢れた祖父の家は巨大なおもちゃ箱のようで、遊びに行くのが楽しみでしたね。おじいさ

食卓におけるモダン革命。

1904年オハイオ州生まれ。学生時代に彫刻を学び、舞台美術などに携わる。30年代初頭からデザイナーとして活動し、テーブルウェアの代表作であるアメリカン・モダンを発表。さらに食器洗い機に対応したカジュアル・チャイナなど、手軽で合理的な食器をいくつも手がけた。それらはジョージ・ネルソンが編集した〈ハーマンミラー〉のカタログにスタイリングされるなど、ミッドセンチュリーの食のシーンを象徴するものだった。5

ノルのミューズとして。

1917年ミシガン州生まれ。交流のあったエリエル・サーリネンの勧めでクランブルック美術大学に進み、さらにヴァルター・グロピウス、マルセル・ブロイヤー、ミース・ファン・デル・ローエら巨匠建築家たちに師事。ニューヨークで家具ブランドの〈ノル〉を経営するハンス・ノルと46年に結婚し、同社のデザイナーを務めながら、クランブルック以降の人脈を生かして才能あふれるデザイナーや建築家を起用していった。55年にハ

〈ハーマンミラー〉第4の男。

1904年ロサンゼルス生まれ。日本やアメリカなどで過ごし、30年代から抽象彫刻や舞台美術を手がけた。ジョージ・ネルソンは、ノグチが妹の誕生日のために制作したテーブルを見たのをきっかけに、彼を〈ハーマンミラー〉のデザイナーとして起用することを決めたという。またノグチはイームズ夫妻とも交流があり、夫婦でイームズの自宅を訪れ、食事する写真が残っている。世界的な彫刻家として大成していったノグチだが、そのデ