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20歳

成り上がりの象徴? 単なるキャラクターの一つ? 芸人にとって、“スニーカー”とはなんなのか?

オーダーメイドのスーツに、ピカピカの革靴。昭和の芸人が、観客の待つ舞台へ上がるための正装としてあつらえた最大級のお洒落。時は流れて平成、そして令和へ。芸や演目の多様化から、お笑いの場所は劇場を中心としながらもテレビへと広がっていった。そして、芸人のお洒落も、スーツに革靴から、カジュアルなファッションにスニーカーが定番に。テレビ番組『アメトーーク!』の「スニーカー芸人」で、莫大なコレクションとともに

“イタめし”ブームの立役者、 現役ベテランシェフ、大いに語る。

イタめしブームのはしりは、1985年にオープンしたニューヨークスタイルの劇場型店舗〈バスタ・パスタ〉だった。シェフを務めたのは山田宏巳。華やかで軽やか。堅苦しいマナー不要の、まさに新時代の幕開けだった。
 
あれからン十年。日本のイタリア料理は激しく多様化が進んでいる。今も現役であり続ける、歴史の証人3人が怪気炎を上げる。

描かれるのは、少年から大人への瑞々しい成長と心の機微。

 日本では、ティーンエイジャーを描いた映画といえば、「壁ドン」や「顎クイ」といった言葉に象徴される「胸キュン恋愛映画」が主流だが、アメリカでは、そうした少年少女が、ある出来事や事件を通して、子供から大人へと成長するイニシエーション(通過儀礼)を描いたものが多い。日本ではまだ馴染みがないが、そうした映画をアメリカでは「カミング・オブ・エイジ・ムービー」と呼んでいる。『スタンド・バイ・ミー』や『あの頃

新世代J−POPの感覚的なことば。

「2000年代のJ−POPの歌詞は、等身大や共感に焦点を絞って書かれたものが多かった」そう話すのは、J−POPに精通する音楽ジャーナリストの柴那典さん。一つの要因が、“着うた”だった。「今や着うたは失われた文化ですが、J−POPカルチャーの中では無視できないほどの影響があった。そこから女性シンガーソングライターのカリスマが登場し、その代表が西野カナ。彼女の歌詞の一番の特徴が、同世代の女子のライフス

エルヴィスの背景が、私にはジャズと重なって見えました。|湯川れい子

コンボという喫茶店では、鼓膜が破れるような音量で音楽がかかっていました。お客さんはほとんど黒人の兵隊さん。「これが今、NYで盛んに台頭してきているジャズなんだ」って。即興演奏で譜面なんかない、黒人が自分のアイデンティティとして自己主張する音楽だと言われて。みんな目をつむりながら会話もなく聴いているんです。衝撃的でした。その中に早稲田の学生だった大橋巨泉さんや、まだ無名の渡辺貞夫さんとかがいらして、

島田雅彦

「人間は主として2種類に分けられます。効率的にお金を稼ぐ人と“新しいお金”を作ってしまう人。前者はビジネスマンと呼ばれ、後者はアーティストと呼ばれますが、私の父はお金を稼ぐのがへたで、自分もそうになるに決まっていると幼い頃から思ってきました。というわけで、貨幣経済とグレた付き合い方をすべくアーティストになったわけです」
 そう語るのは、小説家の島田雅彦さんだ。実際、2010年に刊行された著書『悪貨

ふく屋

共にとんかつを愛する仲良しシェフの2人が連れ立って、東森さん行きつけの〈ふく屋〉へ。
東森俊二 ここは20歳くらいから通っていて、昼から飲んで最後に蕎麦ととんかつで〆るのがパターン。
原川慎一郎 うんまッ! このヒレとろけますね。口の中で消える! 昔はロース派でしたが、数年前にヒレの旨さに目覚めて、ヒレ派に転向。
東森 ヒレの優しい味が旨いよね。けど僕は、基本的にロース派。脂がたまらなく好き。