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20歳

新世代J−POPの感覚的なことば。

「2000年代のJ−POPの歌詞は、等身大や共感に焦点を絞って書かれたものが多かった」そう話すのは、J−POPに精通する音楽ジャーナリストの柴那典さん。一つの要因が、“着うた”だった。「今や着うたは失われた文化ですが、J−POPカルチャーの中では無視できないほどの影響があった。そこから女性シンガーソングライターのカリスマが登場し、その代表が西野カナ。彼女の歌詞の一番の特徴が、同世代の女子のライフス

エルヴィスの背景が、私にはジャズと重なって見えました。|湯川れい子

コンボという喫茶店では、鼓膜が破れるような音量で音楽がかかっていました。お客さんはほとんど黒人の兵隊さん。「これが今、NYで盛んに台頭してきているジャズなんだ」って。即興演奏で譜面なんかない、黒人が自分のアイデンティティとして自己主張する音楽だと言われて。みんな目をつむりながら会話もなく聴いているんです。衝撃的でした。その中に早稲田の学生だった大橋巨泉さんや、まだ無名の渡辺貞夫さんとかがいらして、

才能は閃光のように。

ジミヘン、カート・コバーン、ブライアン・ジョーンズにエイミー・ワインハウス(バスキアも)。多くの天才ミュージシャンが27歳で夭折した謎を「27クラブ」と呼んだりするが、日本ではなぜか洋画家に早世者が多い。村山槐多は22歳、佐伯祐三は30歳。三岸好太郎が31歳で松本竣介が36歳。 明治末期から大正の洋画黎明期を駆け抜け、時代に強烈な光芒を刻みつけた青木繁と関根正二もまた、薄命の天才だ。海への祈りと神

音楽の楽しさを伝え続ける“ソウル”の学校。

1988年に店を開けて以来、ソウル一筋30年。70〜80年代のものを中心に5,000〜6,000枚あるというレコードは、今でも日々増え続けている。「自分自身がお店をやってて楽しいなと思うから続けられるんだよね」と話すのはマスターの安藝仁さん。15年前からここで働くタツさん(写真)と一緒に今でも店に立つ現役のマスターに、全国の同業者からの信頼も厚い。この日カウンターでは、常連だという男性とその娘の姿

90歳になっても殺し屋の役をやりたいね。| 宍戸 錠

もともと、自分をプロデュースするタイプというかね。その当時、小道具のピストルなんかもモデルガンが少なかったので自分で調達してさ。衣装もいいのがなくて、ウエスタンブーツの装飾を自分で作ってた。ハリウッドまで観に行ってたからね。男でおおっぴらに自分のプロデュースをする、みたいなことをやったのは、俺が日本で初めてだったんじゃないかな。「頰に入れたアンコは取れるんですか?」と先生に聞いたら「顔に傷がついち

ジャンルの垣根を越え、常に挑戦し続ける作家・筒井康隆。

 現代文学の最高峰・筒井康隆の世界を紹介する初めての大規模展覧会が世田谷文学館で開催されている。1934年に大阪で生まれた筒井康隆は、60年に江戸川乱歩が編集する雑誌『宝石』に掲載された、「お助け」でデビューした。同年、SF同人誌『NULL』を発行。デビュー後は星新一、小松左京とともに「SF御三家」と呼ばれ人気を博した。彼ら3人は日本にSFを根づかせた、SF界の草分け的存在といえるだろう。その後、

甲田幹夫

 道沿いの席に座る甲田幹夫さんが道行く人と言葉を交わす。常連さんにご近所さん、学校帰りの子供たちに、挨拶したり様子を尋ねたり。甲田さんの周りから、言葉から、懐かしく温かい空気が流れ出す。
「ここでは、お客さんとスタッフの隔たりをなるべくなくしたくてね。誰かの家に招かれた時は、キッチンの中もゴミ箱だって見えるのが普通だし、呼ばれた人が運ぶのを手伝ったり皿洗いしたっていいでしょ。そんなお店にしたいんで