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佐々木

最果タヒの言葉の森の中、詩が生まれる瞬間を目撃する。

横浜美術館では初となる、詩人による展覧会『氷になる直前の、氷点下の水は、蝶になる直前の、さなぎの中は、詩になる直前の、横浜美術館は。  最果タヒ 詩の展示』が3月24日まで開催されている。館内の3ヵ所を使って展示されるのは、展示のために書き下ろされた詩と、『死んでしまう系のぼくらに』に連なる詩集3部作などから選び取られた最果タヒの言葉だ。

「詩の言葉を流動的にすることで、読む人が能動的に言葉を選

監修者が選ぶ 中川さん執筆・ゴールデンカムイがわかるブックガイド。

アイヌ自身が初めてアイヌの伝承をアイヌ語で書き綴った作品集。カムイを主人公にした「神謡」と呼ばれる物語が、ローマ字で書かれたアイヌ語と日本語との対訳で13編収められている。その美しい序文と、「銀の滴降る降るまわりに」という不思議なフレーズで始まるシマフクロウの物語は特に有名。何度読んでも新しい発見がある、アイヌ文学の永遠の古典。知里幸恵はこの一冊の本を書き上げて、19歳でこの世を去っている。

フィンカ・サン・ ニコラス

『World AeroPress Championship 2014』の優勝者・佐々木修一さんが2017年にオープン。幅広い層にスペシャルティコーヒーの魅力が伝わるよう、品質のブレが少なく、味わいが安定した豆を仕入れ、「抽出の前段階としてバランスが整った状態、抽出しやすい焙煎度合い」を指針に焙煎する。品種や精製方法、気候に応じた適切な処理が徹底されている「サン・ニコラス」は、「口当たり滑らか。クラ

運がよかった人生に、何か恩返ししたいと思って。|佐々木 忠

 僕はね、「洋服」はいち早く取り入れ、規模は比較的小さく、後は「宣伝」と「ゴルフ場」という、すごく好きなものを3つだけやったからうまくいったんです。食べ物屋だの何だのとやって、そんなに甘くないってことがわかりましたしね(笑)。60歳くらいの時にコンピューター社会に変わっていって、ちょうど息子(現社長)が会社に入って10年くらいの頃、いくつか成功事例を作っていたので、「やってくれるか?」と聞いたら「

僕はイメージ戦略的な嘘の使い方が上手なんですよ。|佐々木 忠

 最初に作った水着で確か、最初の5万円が60万円ぐらいになったんです。それで、次にやったベストがバカーンと売れたんですよ。1年くらい作って180万円ぐらいになったのかな。男物を出せば売れた。ないんだもの、男物が。僕はファッション界で何もしてないけれど、何か影響を与えたかなって一つ言えることが、男の人に赤っぽいものを着せたり、パステルとかを着せたってこと。当時は男物に色なんてなかったですからね。赤も

純情のふりをしてたら、ジュンちゃんって呼ばれてね。|佐々木 忠

 卒業してから6月までは何もせずフーテンをしてました。当時は勤めなきゃいけないっていう時代じゃなかったんですよね。子供は親の仕事を継いで、2人いたら2人で分けて、勤めに出るというのは特別な、東大とかいいとこ行っている人間がするもので。だから僕は何にもしてなかったんですが、あのーちょっと仕事したいって言ったら親が5万円くれて。今の50万円ですね。僕はね、その頃みゆき族だったんですよ。みゆき通りにすご

僕は人生観のない、さすらい人なんです。|佐々木 忠

 生まれは台東区の根岸です。三軒長屋の角の家で、前が髪結いさんで周りには芸者屋があってね。三味線の音が聞こえると落ち着く、下町の人間として育ちました。家の近くには芸者屋、飴屋、髪結い屋。そういう環境だから、僕の周りにサラリーマンは1人もいない。Yシャツ屋、洋服屋、八百屋、みんな“〜〜屋”です。だから会社勤めをするという発想がなかった。うちの家はネームを彫る刺繍屋でした。小さい時のことでよく覚えてい